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    未完成なカレンダー 第10話『ギョクとの出会いと旅立ちの影』







    まだ、昼過ぎだったはずだ。
    雲もないのに澄んだ闇の色をたたえる空に、パールは叫び出したくなる気持ちをすんでのところでこらえた。
    メリッサのポケモン、ムウマージはツバの広い帽子の下からこちらのことを覗くと、歌うような鳴き声を発しながら浮かび上がる。
    止まり木を見失ったギンが細い声で不安を訴える。
    パールはうなずき、手に持った図鑑を握りしめた。 自分も今、同じ気持ちだ。

    相手のポケモンが飛び上がると、ギンは回避しようと大きく羽ばたき自分から壁に叩きつけられる。
    「焦るな、ギン! オレの指示通り飛べ!」
    「アハ! いいデスネ!
     だったらコレ、避けられマスカ?」
    メリッサの両手が風を切ると、パンッと破裂したようなカスタネットの音が響く。
    風の流れが変わりパールが見上げると、ムウマージの周りに闇よりなお暗い黒いエネルギーの固まりが収束していった。
    「『シャドーボール』だ! 避けろッ……」
    言いかけてパールははたと止まる。 ゴーストタイプの技はノーマルタイプのギンにはきかないはず。 だとすれば、他に狙いがあるはずだ。
    「降下だ、ギン!」
    ビィッと高い鳴き声をあげるとギンは垂直に落下して地面に突き刺さる勢いのままコンクリートに激突する。
    闇が一瞬揺らめいた。 薄ぼんやりと見える周りの景色に目を凝らす間もなくパールは上空のムウマージを睨むと、闇の間で揺れる黒い球体の動きを目で追ってギンに指示を出す。
    「全速力でまっすぐ!!」
    細い羽根が音をあげ、そう大きくはないモノクロの身体を線へと変える。
    黒い球体が地面を突き、乾いた何かが割れるような音をあげた。
    チカチカと光る街灯に薄目を開きながらパールは上空のムウマージを確認すると、細い人差し指をその方向に向かって突き上げる。
    「『つばめがえし』だ、ギン!!」
    冷たい地面を蹴って飛び上がったギンは翼にまとう風を使い、宙に浮かぶ布きれのようなポケモンを切り裂いた。
    少し遅れ、風の音が鳴る。 いや、
    「口笛……」
    「アナタ、アタシがなにしたか、わかりましたネ?」
    「『シャドーボール』に見せかけた、『チャージビーム』。」
    「正解、デス。」
    上下が逆さまになったムウマージが再び黒い球体を周囲にまとい、バチバチという音をたてる。
    「アタシたち、がんばりマシタ。 キレイな技、お客さん喜びマス!」
    打ち上がった黒い球体が花火のような光を放ち、暗い空に彩りを与える。
    無邪気な笑みを浮かべていたメリッサは、光に射抜かれたギンの姿が消え、口元をわずかに強張らせた。
    パールは息を吸う。 本物は消えた『かげぶんしん』よりもはるかに上……ムウマージが作り出した闇の外にいる。
    「ギン、『ふきとばし』だ!!」
    パールが叫ぶと、翼から放たれた豪風が嵐となってヨスガの街に降り注いだ。
    風に巻き上げられたのか、どこかでカンッと金属質な音が鳴る。
    ムウマージは『ふゆう』を保ち続けることも出来ず地面に叩きつけられると、青いモンスターボールの姿に変わってメリッサの手元へと戻ってきた。
    代わりに手元から弾かれたボールから紫色のポケモンが姿を現す。
    それは前のポケモンの二の舞にならぬよう、薄布のような手を街灯の根元に巻き付けて『ふきとばし』をやり過ごすと、弱まった風の隙間を縫ってふんわりと空に浮かび上がった。


    「……フワライドッ!」
    「ばるん!?」
    パールとメリッサは同時にそのポケモンの名前を口にした。
    『ふきとばし』を完全に読み切れるトレーナーなんていない。 この交代は、メリッサにとって想定外だったに違いない。
    パールはそう思っていた。 だがメリッサは、まどっていた視線をすぐに据えると大きな声でポケモンの名前を呼び直す。
    カスタネットの音が鳴った。 宙にぷかぷかと浮かんでいたききゅうポケモンがくるりと回ると、まるでパレードのように浮き足立った街の中に青い光が散りばめられていく。
    「アナタのバトル、素敵デス!
     ダケド、ばるんはコンテストのポケモン。 手加減できませんヨ!」
    「当然!」
    パールは叫び返す。 誰よりも強くならなければいけないのだ、手加減されて勝ったのでは意味がない。
    上空のギンを見上げ、つばめがえしの指示を出す。
    だが、通り過ぎたと思った青い光が揺らめくのを見た瞬間、パールの顔は強張った。
    「『おにび』デス!」
    炎が空気を擦るシュルシュルとした音がギンの翼にまとわりつく。
    翼を焼かれたギンは悲鳴をあげると、高度を保ちきれずフラフラと落ちてきた。
    舌打ちするとパールはモンスターボールを取り出し、ポケモンを入れ替える。
    ギンの代わりに飛び出してきたポケモンは高いいななきをあげると、ひづめをコンクリートに叩きつけて空中にいるフワライドへと跳び上がった。
    「ケイマ!!」
    そのポケモンは、一般的にはポニータという名前で呼ばれていた。
    ポケモンという存在が人々に認知され始めた初期から親しまれている、ひと蹴りで高いビルをも跳び越すジャンプ力ほど強靭な足腰を持つ炎の馬。
    そんなポケモンがパールの指示でフワライドより上を取るなど、朝飯前にも等しい行為だった。
    見下ろした視線にフワライドとメリッサが気づく。 周囲の『おにび』をも吸い込んだケイマのたてがみには、既に白い炎が宿っていた。
    「『ひのこ』だ、ケイマ!」
    「『あやしいかぜ』!」
    噴き出した炎をフワライドは黒い風を起こして吹き払う。
    その様子を睨んだ直後、ケイマは乱気流となった『あやしいかぜ』の直撃を受け、身体がひっくり返った。 そのまま落ちてゆくケイマに悲鳴があがるが、パールが指示を出すとケイマは背中の炎で勢いをつけ、くるりと回転して足からコンクリートへと着地する。
    「オゥ、猫みたいデス。」
    「まだまだ!!」
    パールが叫ぶのと同時にケイマは再び跳び上がった。
    「『かえんぐるま』!!」
    白い炎に包まれたケイマが風船のようなフワライドの身体を突き上げる。
    決定打だ。 そうパールが確信した瞬間、大きな爆発が起き、『ふきとばし』にも負けない強い風が足元をさらっていった。
    爆発の直撃を受けたケイマが地面に叩きつけられ、そのままボールへと戻っていく。
    ケイマのボールを靴の横で支えたままパールが呆然としていると、同じくボールへと戻ったフワライドを片手で拾いながら、メリッサがラベンダー色の口紅がひかれた唇を緩ませる。

    「んな……!」
    何が起きたのかわからず、パールはポケモン図鑑の画面を見つめていた。
    確かにケイマの攻撃はフワライドに決定的なダメージを与えたはずだ。 実際にパールが持つポケモン図鑑もそう示している。
    だけど事実、ケイマは倒れた。
    だが深いことを考えている時間はない。 パールがメリッサの次の手を探り、次のポケモンのモンスターボールを手にしたとき、ふと、止まっていたような街の空気が一斉に動き出した。
    ふわりと、冬の山に春風が舞い込んだようなそんな流れ。
    目を見開いたパールが辺りを見ると、いつの間にか出来上がった人だかりが一斉にパールたちへと向かって手を叩いていた。
    小さく疑問の声を口にするが、人々の視線が集まる先は確かにパールたち……いや、パールの方だ。
    気が付くとメリッサまで、その拍手に加わっていた。
    殺気の消えた彼女はツカツカと近寄ってくると、小さなポーチから無造作に何かを取り出してパールに押し付ける。
    『それ』を見てパールはひっくり返りそうなほど驚いた。
    「これ!? レリックバッジじゃねーか!?」
    「そうデスヨ?」
    「って、まだバトル途中……! つーか、まだフワライドしか倒してねーし! ケイマだってやられ……!」
    「アタシ、『楽しいバトルしなさい』と言いマシタ。 アナタ、楽しいバトルしマシタ。
     だからアタシ、アナタ認めマス。 ジムバッジ、ジムリーダーがポケモントレーナー認めた証拠ネ。」
    「な……!」
    パールが何か言いかける前に、メリッサは両手を大きく広げた。 途端、大きくうねった拍手の渦がパールたちを包み込んでゆく。
    パールは辺りをぐるりと見回すと、突き返しかけていたバッジを強く握りこんだ。
    自分に言い聞かせる。 今、ここでもめている時間はないと。


    納得しきらない気持ちを自分の中で抑え込み、バッジをくしゃくしゃのハンカチと一緒のポケットの中に突っ込むと、パールはメリッサに礼を言ってポケモンセンターの方へと引き返した。
    多分、結果オーライのはずだ。 ジムリーダーと戦うことは出来たし、アヤコと長話になることも避けられた。
    あとはプラチナ……いや、ダイヤを一刻も早く探し出さなければならない。 パールはメリッサとの戦いで傷ついたポケモンたちを預けると、ハヤシガメのギョクのボールを持って再びポケモンセンターの外へ飛び出していく。
    「ギョク、ダイヤを探すぞ! あいつはオレたちが守らなくちゃいけねーんだ!」
    ボールから出たギョクは力強くうなずくとパールと一緒にヨスガの街へ走り出した。
    パールは緊張から息切れが激しくなる。 それでも、足を止めることはしなかった。





    「ここに3匹のポケモンがおる!
     好きなポケモンを1匹選んで持っていきなさい!」
    「……はい?」


    半年前、ナナカマド博士がそう言ってプラチナをマサゴから送り出すのを、パールは研究所の外から眺めていた。
    その頃パールはまだポケモントレーナーではなかったが、カヅキから教わった……というか、カヅキを追い回しているうちに修得したパルクールのおかげで、隣町くらいまでならなんとか自力で行かれるようになっていた。
    「あーっ! もーっ!! なんなのよ、アンタは!?」
    だから、プラチナとポッチャマが押し問答している姿も、パールはバッチリ見ていた。
    笑い声を出したら見つかると思い、口を押さえた途端、屋根から転げ落ちたので、彼女がコトブキに向かう姿は見ていないのだが。
    パールが気が付いたときには、腕に巻いているポケッチの数字が少しだけ進んでいた。
    視線だけ動かして周囲を観察すると、天地がひっくり返っている。
    まだぼんやりした頭ながらも状況を理解し、体勢を立て直そうとひんやりとした足を動かしかけたとき、ガチャリという物音でパールは動きを止めた。
    息をひそめて目に神経を集中させると、見覚えのない真っ白なブーツが2足、空から生えている。


    ブーツはパールからさほど離れていない位置で止まると、互いにつま先を向けあった。
    「もぬけの殻とは……」
    ブーツの片方が喋った。 パールはひっくり返った体勢のまま、ささやくような低い声に耳を傾ける。
    「どうするよ? 戻ってサターン様に報告か?」
    「ダメだ。 こんな僻地まで来て『成果なし』では帰れないだろう。」
    「……だよな。
     でも、ナナカマドがいないんじゃ目的のデータのありかもわかんねぇだろう?」
    ふむ、と、ブーツの片方がうなる。
    「……そういえば、少し前にここを出て行った子供がいたな。」
    パールの身体がビクリと跳ね、それを支えていた壁からずり落ち砂利を踏んだような音を出した。
    一瞬静かになった男たちに聞かれないよう、パールはどくどくと脈打つ心臓を強く握りしめる。
    「でも、子供だろ?」
    生きた心地のしない数秒を経て片方が話を続けると、パールの耳の内に血潮の流れるざぁという音が流れる。
    「だが、ポケモンを連れていた。」
    「おっ。」
    「かつて、ポケモン図鑑を完成させた弟子たちも当時は子供だったって噂だ。
     子供でもポケモントレーナーなら、どこかに消えたナナカマドの行方を知っていても不自然じゃない。」
    「ベビオンおめー天才! で、その子供って男?女?」
    「女だ。 ……笑うな、エリアポ。」
    心臓をつかむ手がさぁっと冷たくなっていくのをパールは感じていた。
    ブーツの片方はパールにかかとを見せると、小刻みに震えながらもう一足の方へと足首を向ける。
    「いやいいだろ? 捕まえたついでに×××で×××しちゃおうぜ!」
    頭に血が上ったのはひっくり返っていたせいだけではないだろう。
    ガンガン脳みそが鐘を鳴らし、次にパールが見たのは目の前で頬を押さえている男、それを細い瞳を見開いて見ている男。
    閉じた右手が痛みを感じ始めたとき、パールは自分の悪手に気付いた。
    逃げられない距離に歯を食いしばる間もなく、足を払われ尻から地面へと落っこちる。
    細目の男のブーツが、パールの足と足の間にある砂利を踏みにじった。
    「何だ、お前?」
    言い返そうと口を開きかけた瞬間、パールは細いものに横っ面を叩かれて大きく吹っ飛んだ。
    「痛ってーなァ、オイ?」
    赤いノイズで半分ふさがれた視界で、ベロリンガというポケモンが長い舌をくねらせ眉のない男を見上げていた。
    男が舌を出すと、安全ピンのような銀色の物体がチロチロと口の端から覗く。
    「規定違反だ、エリアポ。」
    「コイツが先に手を出してきたんだよ。 こーゆーのにはきっちり叩きこんでやらねえと。」
    眉のない男がアゴを上げると、あくび混じりに空を見上げていたベロリンガからヘビよりも長い舌が伸びてきてパールの身体に巻き付いた。
    あっという間に締め上げられ、つま先が地面から離れる。
    髪の先が浮いたかと思った瞬間、背中から固いものに叩きつけられパールは喉の奥にたまっていたツバを吐き散らした。
    ぐるんぐるん回る視界の中で、銀色のツナギを着た男が2人、パールに背を向ける。
    「……で、誰よアイツ?」
    「俺が知るか。 それよりも娘だ、急がないと見失うぞ。」


    「……待、てよ。」
    かすかに発したかすれた声は、ほとんど声になっていなかった。
    背中を削る壁から身体を離すと、パールは怪訝そうに振り返った2人を薄く開いたまぶたの間から睨みつける。
    「いかせ……ねーぞ……」
    チッと眉のない男が舌打ちすると、横で間の抜けた顔をしていたベロリンガが舌を伸ばしてきてあっけなくパールは胸を突き飛ばされた。
    煙の臭いのする息を喉の奥から吐きだすと、半分感覚のない指先で背中の壁を突き、腰が砕けないよう2本の足を直立させる。
    上下もわからないような視界が戻り始めたとき、苛立たしげに何か叫ぼうとした眉のない男を細目の男が押しとどめる。
    乾いた破裂音とともに、緑色のツルに覆われたポケモンが姿を現す。
    モンジャラ、というそのポケモンは身体に絡まりついた長いツタをパールへと伸ばすと、倒れかけていた体に巻き付きギシギシと締め上げた。
    「そんなに娘が大事か。 だったら、お前の目の前で娘をなぶってやろうか?」
    「……ヒ、ヒカリに、手を出すんじゃねぇ!」
    「そうか、ヒカリというのか。」
    小さく漏らした息にパールのこめかみが凍り付く。
    ヤバい。 これは絶対にヤバい。
    なんとかしようと足をばたつかせるが、男たちを止めるどころか締め上げられた胸が冷たくなり、段々気が遠くなってきた。
    「……くっそ……!」
    せめて噛み切れないかと歯を鳴らすが、胸元のツタには全然届かない。
    ぐるり、と、世界が回るようにパールの視界が動いた。
    いよいよダメかと舌を噛み切る覚悟で2人の男を睨みつけた瞬間、ドンッ、という大きな音がパールの耳に届いた。


    「な……!」
    「は!?」

    パールは右肩から落ちて自由になった。
    腕にまとわりつくツタを払いのけ、視界がはっきりしないまま顔を上げると、地面に貼り付いているはずの自分の影が自分と男たちとの間を隔てるように立ち上がっている。
    「むふっ!」
    だが、そのときパールを助けたのは影ではなく、鼻息を荒くしている緑色のポケモンだった。
    短い足で薄黒い地面を叩きながら、転げているモンジャラに向かって威嚇している。
    「ざっけんな、チビィッ!!」
    眉のない男が腕を振り上げると、丸い目で様子を見ていたベロリンガが長い舌を鞭のように振り回す。
    緑色のポケモンが身を固くした直後、黒い影が舌とポケモンとの間に割って入った。
    ギリギリと締め上げる音が響き、眉のない男の顔が青くなる。
    「オイ、何やってんだベビオン!!」
    「あ、あぁ、モンジャラ!」
    網のように広がるツタが黒い影を覆い尽くす。
    身動きが取れなくなった直後、真下から突き上がる閃光が影を覆うツタを切り裂いた。
    舞い上がった光は太陽に届く前に失速すると、落ち葉となってひらひらと地面の上へと戻ってきた。
    影の足元にいる緑色のポケモンが、ふんっ、と鼻息でそれを吹き飛ばす。

    ゆらり、と、もやのように身体をくねらせながら影はモンジャラとベロリンガの後ろにいる男たちを睨みつけた。
    男たちに動揺が走るのがわかり、ポケモンたちの視線がパールたちから、銀色のツナギを着た男たちの方へと移動する。
    「ベビオン……」
    「エリアポ。」
    男たちは目と目で合図すると、攻撃の目標を緑色のポケモンに定めた。 指示を出そうと2人の口が同時に開く。
    『警察だ! キミは完全に包囲されている、ポケモンを置いておとなしく出てきなさい!』
    どこからともなく響いてきたスピーカーの音に男たちの肩が跳ね上がる。
    周囲を見渡すが、人の気配はない。
    「オイ……!?」
    「焦るな、ハッタリだ! 恐らく、近くにトレーナーが……!」
    『抵抗するなら容赦はしない! ここにいるキミのおふくろさんを……』
    『きよし~、助けておくれぇ~!』
    男たちが顔を見合わせた瞬間、黒い影が上空に出現した黒い球体を地面に叩きつけた。
    まるで水に吸い込まれるようにそれが地面に溶けた直後、男たちの足元から黒い影が伸びてきて2人を黒い闇へと引きずり込む。
    悲鳴を上げる間もなく、男たちは地面へと倒れこんだ。
    ぽかん、と、事態についていけず立ち尽くしていたパールへと緑色のポケモンが駆け寄ると、どことなく間の抜けた音を発していたスピーカーががさがさと、少し離れた場所の木を揺らしながら落ちてきた。



    『卑怯だぞ、それが警察のすることか!』
    『キミの犯した罪の大きさに比べればどうということはない! このギンガでキミが……』
    ブツリ、と、ちぎれるような音をたて、ガンガンと鳴り続けていたスピーカーから音が止まった。
    「……ムウ、いかんな。 古いものはどうにも正確性に欠ける。」
    パールは大きなスピーカーを抱えて出てきた老人を、信じられないような気持ちで見ていた。
    呆れるほど意味の解らない行動ではあるが、パールを助け、今現れた白いひげにいかめしい顔のその老人は、マサゴタウンに研究所を構え、プラチナをコトブキシティまで使いに出した人物、ナナカマド博士その人だ。
    「間に合ったようだな。 ヒカリの友人の武田ジュン……だな?」
    「なんで……!」
    自分の名前を。 そう言おうとしてパールは舌を噛む。
    「キミの父親、武田クロツグは古い知り合いでな。 キミのことも聞いている。
     サトウが世話になっているそうだな。」
    普段から『ヒカリ』と下の名前で呼んでいたパールは、一瞬それが誰のことを指しているのかわからなかった。
    2秒ほどしてようやく理解し、曖昧な返事をするとナナカマド博士は抱えていたスピーカーを冷たい地面に置き、駆け寄ってきた緑色のポケモンの背中についた甲羅を大きな手でなでる。
    「武田ジュン、キミにポケモンとポケモン図鑑を与える。 今すぐ、旅に出るのだ!」
    「は!?」
    あまりにも唐突な申し出に、パールは叫び返した後、辺りをうかがってしまった。
    「どーゆーことだよ!? いや、ポケモンもらえるのは嬉しいけどさ、いきなりすぎんだろ!?」
    「キミがそう思っているだけで、ずっと機会を伺っていた。 いや……待ちすぎたのだ。
     先ほどのような集団から、私はずっと付け狙われている。 それはサトウや、他の助手たちも同様だ。
     1番新しく入った彼女は1人で身を守るはまだ幼く、危うい。
     彼女を守り、サポートする存在が必要なのだ。 引き受けてくれるな?」
    あるようで選択肢はなかった。 言外に『断ったらヒカリがどうなっても知らないぞ』と言われているようなものだ。
    パールはナナカマド博士が取り出した赤い手帳のようなものをもぎとると、足元にいる緑色のポケモンに目を向けた。
    先ほどまでの威勢はどこに行ったのか、丸い目で顔を上げたポケモンの足元には、彼がかじったせいでぽっこりとこぶし大の穴が開いている。
    「じーさん、ヒカリはどっち行ったんだ?」
    「ウム、引き受けてくれるか。 彼女ならコトブキシティの……」
    「コトブキだな、わかった!」
    善は急げ。 旅の用意もそこそこ……というか、ポケモン図鑑だけ掴んだままパールはコトブキの方角に向かって走り出した。
    そして5分後、再び研究所の前に戻ってきた。
    ついさっきパートナーになったはずのポケモンまで置いてきてしまったからだ。





    どれだけ都合の悪い頭の作りをしているのか。 いつも肝心なときに肝心なことを忘れてしまう。
    ヨスガシティは複雑ではないが広く、祭り前の賑わいの中から1人の人間が見つけられず、パールは麦の穂のような頭をガシガシとかく。
    大通りは一通り見て回ったし、ポケモンセンターも調べた。
    なかなか見慣れないガイドマップの中からダイヤの行きそうな場所を探しながら、パールはふと、足元にいるギョクへと視線を向けた。
    あれから半年、進化して一回り大きくなりこそしたが、ギョクは出会ったときと同じ丸い瞳でパールのことを見上げている。
    大丈夫、いる。 あのときと同じ失敗を繰り返していないことを確認し、再びガイドマップへと視線を戻そうとしたとき、ギョクはおもむろにパールのズボンをくわえて引っ張った。
    「んだよ、ギョク?」
    「ぐ」
    背中から生えた葉っぱをガサガサいわせながら、ギョクは街の出入り口であるゲートと呼ばれる無機質な建物に頭を向けた。
    一瞬考えた後、パールは「あっ」と小さく声をあげる。
    「そーいや、ズイタウンに向かうって言ってた! それじゃ、あっちも調べるぞ!」
    言うが早いか、パールはそちらへ向かおうとしていたギョクを追い抜いてズイタウン行きのゲートの中へと飛び込んだ。
    途端、中から出てきた人影に激突してパールは吹き飛ばされる。
    「な……なんだってんだよー!?」
    尻と背中を同時に打って転げ、訳もわからぬままパールは相手の顔を睨みつけた。
    途端、パールの表情が固まり、その隙に追いついたギョクが起き上がったパールの背中にぶつかる。

    「いたた……」
    それは、散々探していたダイヤだった。
    ぶつかった拍子に帽子が外れ、長い髪を床に散らかしたまま起き上がろうと腕を突っ張っている。
    「ダイヤ!」
    「パールか……何を大騒ぎしているんだ。」
    「だ、だってよ! ダイヤがいきなりいなくなるから……!」
    「電話するのに静かな場所を探していただけだ。 街中じゃどこも人が多すぎてな。」


    気が抜けたせいか、パールはその場にへたり込んだ。
    しかし、すぐに気を持ち直すと首をぶんぶんと横に振り、立ち上がりかけたダイヤの手首を掴んで自分の方に引き寄せる。
    「いや、ダメだ!!」
    「?」
    怪訝そうな顔をしたダイヤを、パールは睨むような必死な顔で見つめる。
    「ダイヤ! お前はヒカリなんだからな、絶対危ない目にあっちゃダメなんだ!
     オレの側を離れんなよ、いいか、絶対だぞ!!」
    「……おい、熱でもあるのか?」
    言い返しかけた直後、細い両手に頬を挟まれパールの喉の奥から「ひぐっ」と音が鳴った。
    中身がダイヤだということは重々わかっている。 わかっているけど、目の前にあるのは、キス出来そうなくらい近くまで迫っているのは、間違いなくプラチナの顔だ。
    ひんやりとした指先で前髪を持ち上げられると、固まっているパールの額に、プラチナの顔をしたダイヤの額が当てられた。

    「……やっぱり、少し熱があるな。」
    今さらながら、ナナカマド博士を恨む。
    「って……あ、おい!?」
    こんな異常事態、自分にはキャパオーバーだ。
    薄れゆく意識と茜空の下、パールは煙を吐き出すように恨み節をつぶやいた。
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