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多忙のため、仮設定です。
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    未完成なカレンダー 第7話『旅の途中なメッセンジャー』







    「レディース・エンド・ジェントルメン!
     みなさま、プラチナのポケモンショーへようこそ!
     仕事帰りのおじさまも、これからデートのおふたりも、ナギサの海とともに夢のようなひとときをお過ごしください!」

    街の中心からひとつ離れた船着場の突端に、小船ひとつ分ほどの小さな人だかりが出来ていた。
    西日を浴びてキラキラと輝く水面を背にプラチナが細い腕を掲げ、空に向かって人差し指を突き上げると、細かい水しぶきを上げ、海の中からエメラルドのように輝く小さな葉っぱが飛び出してくる。
    「ロゼリア、ナンバー315! ポッチャマ、ナンバー393!
     初お披露目の新作、見ていただきましょう! 『明鏡止水』!!」
    空中にふわふわと浮いている『マジカルリーフ』に、ポッチャマが吹きかけた『バブルこうせん』がぶつかる。
    光る葉っぱを包んだ透明な泡は内側の光を反射してキラキラときらめき、日の暮れかけたナギサを緑色の光で照らした。
    指鳴りの音がすると、宙に浮かんだ緑色の球は一斉に凍りつき、宝石のようだった泡のきらめきはやわらかな乳白色へと変わる。
    「クローバー!」
    風を切り裂くような高い声とともに、白い湯気に包まれていた光の球が一斉にガラスのような音を立てた。
    まるでつむじ風のように緑色の光が弧を描いて空へと舞い上がり、吸い込まれるように輝きを失い、消えていった。
    粉々に砕けた氷の粒に触れたのか、カップルで観ていた女性が連れの男性の肩にピッタリと寄り添う。
    人だかりの中心でプラチナが頭を下げると、見物客の数としてはそれなりの拍手が彼女の耳に降り注いだ。



    それぞれ自分たちの世界へと帰っていく見物客たちを見送ると、プラチナは少し離れたところから見守っていたマイのところへと駆け寄って彼女へと抱きついた。
    「やったよ、マイ! 大成功!!」
    「おめでとう。 ……綺麗だった。」
    しがみつくプラチナの背中に手を添えると、マイは彼女から離れて期待した瞳で見上げるクローバーとキングの頭を撫でた。
    プラチナは左の手首に巻き付けられたポケッチを見ると、藍色の空を照らすほど明るいナギサの街に横目を向ける。
    ふわふわの羽の中に指を突っ込んで遊んでいたマイはくすぐったいような気持ちを顔には出さず、スカートの裾を押さえて立ち上がった。
    「……迎えに行く?」
    「えー?」
    「だったら、迎えに来てもらう?」
    「もう、ジュンちゃんとはそんなんじゃないってば。」
    すっぱいものでも食べたような顔をしてマイに反論すると、プラチナはマップを開いて予約してあった今夜の店を確認する。
    わざとらしく宙を指差し、マイの方に視線を向けるとため息にも似た小さな吐息をプラチナは細く吐き出した。

    「……もうお別れだなんて、ちょっと寂しいね。」
    「うん。」
    ポシェットの中にある船のチケットに触れると、マイは背後に広がるビロードのような海へと横目を向けた。
    今夜の船で、彼女は発つ予定だから。 最後だからと特別に奮発したディナーが終わったらお別れだ。
    しんみりしていると、頭に小さな何かがぶつかってプラチナは視線を上げる。
    「クェ」と少し大きな鳴き声をあげて、音符のような頭の形をした鳥ポケモンが黒味を帯びた鉄の看板にとまっていた。
    「ペラップ!」
    「くぇっ」
    カラフルな羽根を羽ばたかせ、ペラップは差し出されたプラチナの腕にとまる。
    「お疲れ様、お兄ちゃん元気だった?」
    「くぇ!」
    大きなクチバシをカチカチと鳴らすと、プラチナは藤編みのファンシーなカゴからお菓子を取り出し、ペラップに食べさせた。
    そういえば、レストランではプラチナと一緒にショーの司会をやっていたのに、リッシ湖を出てからはこのポケモンを見なかったな、と、むさぼるようにお菓子を食べるペラップを見ながら、マイは頭の中で考える。
    「……お兄さんがいるの?」
    「うん! このペラップも、お兄ちゃんと連絡できるように人から借りてるポケモンなんだよ。
     お兄ちゃん、格好いいんだ!」





    今をさかのぼること2ヶ月前、鍵を差し込もうとした手が隣り合ってプラチナは目を瞬いた。
    視線を左に向けると日焼けした腕が映り、肩と服のエリが映り、深い色をした瞳と視線が交差する。
    「……お兄ちゃん!」
    「ヒカリ!?」
    その色は、プラチナと同じだった。 体ごと持ち上げられて、プラチナは高い声をあげる。
    「久しぶり! おっきくなったなぁ。
     ……あぁ、でもまだ軽い軽い!」
    「師匠! どうしてここに!?」
    後ろで扉が開くのを待っていたパールが声をあげる。
    「仕事でシンオウに人が派遣されることになって、土地勘がある俺が採用されたんだ。
     家に戻ってもよかったんだけど、それだと色々と甘えそうだからナナカマド博士の借りているここを使わせてもらおうと思って。」
    プラチナの足をコンクリートの上につけると、プラチナとよく似た瞳を持つ青年、佐藤カヅキは銀色の鍵を差し込んで彼女の代わりに扉を開けた。
    5つ年上の兄は普段、シンオウから離れた地方でポケモンレンジャーという自然保護官の仕事に就いている。
    盆暮れも家に帰ってこないほど多忙な彼が思いがけず目の前に現れたことで、プラチナの心は浮き立っていた。
    今にも抱きつかんばかりの距離で兄に続いて家に入ると灰色になったかかとを回転させ、体を翻す。
    「お兄ちゃん、お茶にしない? ソノオタウンで買ったおいしいスイーツがあるんだ!」
    「それはいいけど、先に掃除……かな?
     さすがにホコリだらけの部屋に女の子を置いておくのはちょっと……」
    最後に玄関を潜ったパールが豪快なくしゃみをした。
    床の上に降ろしかけた大きなバッグを胸に抱きこむと、プラチナは掃除道具の入った玄関に再び足を向ける。


    「お兄ちゃん、仕事は順調? 彼女出来た?」
    水の張ったバケツに雑巾をひたしながら、プラチナは矢継ぎ早に質問を浴びせかける。
    「毎日楽しいよ。 向こうは暖かいから、この時期、桜が綺麗なんだ。」
    そう言ってカーテンを開けると、窓の外から「クェ」という妙な音がして、3人は音のした方に視線を向けた。
    エアコンの室外機以外、何も置かれていない殺風景なベランダの手すりにカラフルな、オウムのぬいぐるみのようなポケモンがとまっている。
    「ペラップ?」
    パールが手にしたポケモン図鑑がそのポケモンの姿と名前を映し出す。
    図鑑に姿こそ表示されるものの、シンオウの中でもとりわけ珍しいポケモンであり、なぜ、こんなところにいるのかという疑問が3人の頭に浮かぶ。
    ともかく、これでは話が進まないとベランダのサッシに手をかけると、原色をしたポケモンは短い羽で飛び上がってすぐ下の通りを歩いていた少年の頭に止まった。
    「ペッチャラ! こんなところまで来てたのか!」
    「ウミノタマゴ! ウミノタマゴ!」
    ハタキを持ったままプラチナの兄が窓を開けると、空気の流れが変わって舞い上がったホコリがキラキラと光る。
    通りにいた少年と彼との目が合った。
    お互いに軽く会釈すると、少年は脇に抱えたペラップを一瞬だけ横目で見て視線をベランダへと戻す。
    「すみません! 最近こいつ、すぐに脱走して……!
     迷惑かけませんでしたか?」
    「大丈夫、こっちは今、この家に来たところですから。 珍しいポケモンですね。」
    「ありがとうございます! ペッチャラっていうんです!」
    「ナントシテモウバウノダー!」
    「こらっ!」
    少年はペラップを体の下にしまうと、申し訳なさそうにベランダに向かって頭を下げる。
    「すみません…… なんか最近こいつ、変な言葉覚えたみたいで……」
    「そのポケモン、人の言葉を覚えられるんですね。
     ちょっと近くで見てもいいですか?」

    兄は背負っていた荷物をプラチナに預けると、ちょっと出てくる、と、言い残して玄関から大通りへと下りていく。
    ごうごうと騒音をたてる掃除機を振り回していたパールが、不思議そうに目を瞬いた。
    「ベランダ降りてきゃ早いのに。」
    「……あんたと一緒にしないでよ。」
    実際、それは可能だが。
    仕事上、森や山の中を駆け回ることの多いプラチナの兄は、トレーニングの一環としてパルクール……簡単に言えば街全体を使った障害物走のようなものをやっている。
    それを見ていたパールも彼を『師匠』と呼んで(勝手に)練習に参加し、普通の壁を乗り越えるくらいならお手の物だ。
    だから、兄も3階のベランダから直接大通りに降りるくらいは簡単に出来るだろうが、やらない。 一般常識として。
    ため息をつきながらホコリで灰色になった雑巾をバケツの水に浸していると、鳴らないはずのチャイムが音を鳴らし、プラチナは首を傾げた。


    念のためにチェーンをかけて出てみても、やはり知らない顔だった。
    一応、プラチナもナナカマド博士の助手なので、博士の知り合いなら、あらかた顔は覚えているはずなのだが。
    「えーと……どちら様ですか?」
    「ギンガ財閥のものだが、こちらにポケモンレンジャーはご在宅かね?」
    今日この家に来たばかりなのに、なぜ客人があるのだろうと疑問に思いながらも、プラチナがベランダの方へ視線を向けると、突然顔の横に黒い影が伸びる。
    それと同時に、プラチナはパールに体を引っ張られ、彼を下敷きにする形で床の上に転がった。
    「たっ……なにすんのよ、ケガしたらどーすんの!?」
    豪快にむせこみながら、パールはプラチナの背後を指差す。
    振り返ると、かけたはずのチェーンロックが外れて扉が大きく開いていた。
    鈍い金属の音と、赤いハサミが上下する。 『ハッサム』というポケモンだ、目玉模様のついたハサミに攻撃されたら、生身の人間はおろか、トラックでさえもひとたまりもない。
    「ドッ……ドロボーッ!!」
    強盗、という単語が出ず、プラチナは適当に思いついたことを叫ぶ。
    危機感は伝わったらしく、振り下ろされたハサミをハート型の尻尾でピカチュウが捕まえる。
    水しぶきを散らして真上を飛んだブイゼルが、目の前でハッサムとぶつかった。 片手でみぞおちを押さえながら、パールは自分とプラチナのバッグの取っ手をまとめて掴む。
    「逃げるぞ!」
    「だから! あんたと一緒にしないでって……」
    「ベランダじゃねーって!」
    言い返しながらパールはポケモンを入れ替えた。
    ムクバードに進化して一回り大きくなったギンが、赤いポケモンをにらみつけながら黒い羽根を大きく羽ばたかせる。
    「叩きつけろ、ギン!!」
    前触れもなく放たれた『ふきとばし』に長い髪をしまいこんでいた帽子が飛ばされそうになる。
    脚立の倒れるような音が鳴るのと、パールにプラチナの腕が引っ張られるのはほぼ同時だった。
    脱いだ靴を脇に抱えたまま2人が目の前を通り過ぎると、ワザに巻き込まれ壁に叩きつけられた男は背中を睨みつけた。

    転がるように階段を駆け降り、2人は手近な建物へと逃げ込んだ。
    「なんだってんだよ、あいつ!?」
    「あたしに言わないでよ。 知らないもん、あんなおじいさん!」
    はき損なっていたブーツに足を通しながらプラチナは言い返す。
    それと同時に、抱えていた黒いリュックに視線を落とした。
    「……持ってきちゃった。 お兄ちゃんの荷物。」
    「いいんじゃね? 『ドロボー』だったんだろ?」
    「でも、今からあの部屋戻るの怖いし……」
    「こんな近くでじっとしてんのもまずいしなぁ……つか、あいつ師匠に用があるみたいだったよな。」
    サッと顔色が青くなったプラチナの手首を、パールは強く掴んだ。
    2人分のバッグの肩紐が、服に強く食い込んでいる。
    「いや、師匠なら大丈夫。
     ぜってー大丈夫だから! とにかくここを離れようぜ。」
    涙目になっているプラチナの手首をもう1度強く握ると、パールは足元にいるハートに視線を向けて走り出した。
    いや、走り出そうとした。 飛び出した通りのすぐ真正面にあの男。
    2人は、鉢合わせする。


    「ぴかちゅうっ!」
    「ハート、ダメッ!」
    飛び出しかけたハートをプラチナは呼び止める。
    「こんな狭い通りでバトルなんかしたら、何が起こるかわからないでしょ!」
    「ぴか……」
    「じゃ、どーすんだよ!? あいつぜってー話、通じねーぞ!?」
    そんなこと言われても、と、プラチナは唇を噛む。
    迫ってくる赤いハサミを身を引いてかわすと、人の背ほどのガラスが粉々に砕け、コンビニの店員が悲鳴をあげた。
    プラチナは抱え込んだ黒いリュックを強く抱きしめる。 わかってしまった、相手のレベルが高すぎて、自分たちのポケモンでは対処が出来ない。
    パールも同じことを感じたようで、2人で視線を合わせると、プラチナはハートに指示を送る。
    「ハート! 『でんこうせっか』!!」
    「ぴかっ!」
    地面に散ったガラスを巻き上げてハートは振り返ったハッサムに光速の頭突きをお見舞いする。
    鋼の体にそんな攻撃が通用するわけもなく、ハートは反動で大きく飛び上がった。
    「『シザークロス』。」
    じゃきん、と、金属のこすれる音をあげ、赤いハサミが黄色い身体を切り裂く。
    だが、攻撃を繰り出した場所にピカチュウの姿はなく、なにもない虚空にハサミを振り上げたまま、ハッサムは目を見開いた。
    「ギン、急げ!」
    ピカチュウを捕まえたムクバードが、ぶつかりそうなスピードでプラチナとパールの間を通過する。
    振り落とされたハートが、プラチナの肩にしがみついた。
    男が振り返ると、プラチナとパールは少し離れた大通りの入り口から男を睨み、彼女たちと男の間に、黒いコートを着た長髪の女性がプラチナたちを守るように身構えている。

    「穏やかじゃないわね、ラゴウ。
     ……それとも、今は、ネプチューン……だったかしら?」
    薄い唇に笑みが浮かぶと、男の表情が明らかに引きつった。
    長い指がなにか文字のようなものを描くと、湿った空気を切り裂き、『ストーンエッジ』がハッサムの体を刺した。
    小さなボールを浮かび上がり、石畳の道を跳ねて、転がっていく。
    男は舌打ちすると、ふところから何かスイッチのようなものを取り出してそれを押す。
    全身に鳥肌の立つような違和感があった直後、真上から降り注いできたヤミカラスたちにプラチナは悲鳴をあげた。
    ハートと、コートの女性のポケモンが黒い鳥たちを追い払うと、裏路地にいたはずの男の姿は、どこにも見えなくなっていた。


    「もう、大丈夫よ。」
    雪のように降り注いでいた黒い羽根の最後の1枚が地面に落ちると、コートの女性はそう言ってプラチナたちの方へと振り返り、肩に触れた。
    「ありがとうございます。」
    脈の速い心臓に黒いリュックを押し付けながら、プラチナは女性の冷たい指先から肩、首筋から顔へと視線を上げる。
    腰まである長い金髪に、鏡のような灰色の瞳。
    プラチナは見惚れていた。 ふと視線がずれたのは、その細い肩越しに息を切らした兄の姿を見つけたからだ。
    「ヒカリ!」
    「お兄ちゃん!」
    女性の腕をすり抜けると、プラチナはリュックごと兄の胸に飛び込んだ。
    「大丈夫? ケガはない?」
    「うん。」
    「そうか、よかった…… ビックリしたよ、悲鳴が聞こえて飛んでったら部屋の中が荒らされてたから……」
    両手にバッグを抱えたパールが安堵の息を吐いて、女性の方を見ると、同じタイミングでプラチナとその兄も視線を彼女の方へと移した。
    「あの、何があったんですか?」
    「変なジジイがいきなり家に踏み込んできて、ハッサムで襲い掛かってきたんだ!」
    「あら、あなたもしかしてポケモンレンジャー?
     だったら、彼のことはあなたの方がよく知っているんじゃないかしら?」
    プラチナが顔を上げると、いつもニコニコしている兄の表情が強張っていた。
    もしかして、と、前置きしてから彼はパールに男の人相を尋ねた。
    白髪で、背が高くて、色白で。 老人の特徴が、プラチナたちが見たそれと一致する。
    黒い髪に絡んでいた指先に力が入るのが、首筋から伝わってきた。
    「妹を助けてくれてありがとうございます。 何もお礼出来ないのが心苦しいですが……」
    「いいのよ。 こんな可愛い妹さんなら大事にしたくなるものね。」
    「ジュンちゃん、聞いた? あんなに美人な人があたしのことカワイイって!」
    「テレビで言ってたけど、『かわいい』と『美人』は違うってさ。」
    「あと10年したらママみたいな美人になるもん!」
    「いや、ヒカリなら5年で充分だって。」
    ふくれているプラチナの頭を帽子の上から軽く叩くと、兄はプラチナにちょっと、と、耳打ちした。
    「落ち着いたら話があるんだけど。」
    「?」
    首を傾げると、プラチナの耳元で長い髪が揺れた。
    足元まで来ていたハートが黄色い尻尾をゆらゆらと揺らし、プラチナは彼女を肩の上に乗せる。
    女の人はそれを見て笑うと、自分の青いポケモンに細い指を乗せた。
    「あなたたち、ポケモントレーナーなのね。 だったら、またどこかで会うかもしれないわ。
     私もトレーナーだけど、各地で民話や神話、古い遺跡の研究なんかをしているの。
     ……そういえば、自己紹介がまだだったわね。 私はシロナ。」
    「あたし、ヒカリです! プラチナって名前でトレーナーやってます!」
    「オレはパール。」
    「ヒカリの兄で、カヅキっていいます。」
    「プラチナさんにパール君、それにカヅキ君ね。
     それじゃ、私はもう行くわね。 またいつか、会いましょ。」



    シロナと名乗った女性がハイヒールの音を響かせて去っていくと、プラチナたちはひとまずマンションへと戻ることになった。
    あの老人が踏み込んできた地点で分かっていたことではあるが、玄関先はぐちゃぐちゃ、騒ぎを聞きつけたらしい隣近所の人たちが野次馬となって家の周囲に人だかりを作っている。
    「せめて、扉の建て替え費用くらいは請求したかったなぁ。」
    「後でナナカマド博士に報告して直してもらうね。」
    「いいよ、博士への報告は僕からしておくから。 それより、2人とも中に入って。」
    促されて中に入ると、家の中には先客がいた。
    一瞬パールが身を固くし、プラチナが首を傾げる。
    ペラップと、そのトレーナーのベランダの下にいた少年だ。
    彼もまた訳が分からないといった表情でプラチナたちを見つめているが、プラチナの兄はそんな彼の隣に立つと、プラチナに向けて、真剣な眼差しを送った。

    「さて、ヒカリに大切なお願いがあります。」
    「なあに?」
    プラチナが声をあげると、視線をまったくずらすことのないまま兄は彼女の肩をつかみ、次いで、彼女の抱えたリュックに手を添えた。
    「この中に入ってる『海のタマゴ』を持って、すぐにハクタイから出て。」
    「師匠、どういうこと?」
    「実は……少し言いにくいんだけど、さっき襲ってきた老人、俺の知り合いなんだ。」
    むずかゆそうな顔をして頬をかくと、兄はプラチナを玄関から死角になる位置に立たせ、彼女の持っているリュックを開いた。
    透明なカプセルに包まれた青色のゼリー状の物体が、カプセルに入った水の中にふわふわと浮いている。
    それをプラチナたちに見えるように持つと、カヅキは先を続ける。
    「俺のミッションはこの、正体不明のポケモンのタマゴ……通称『海のタマゴ』を、シンオウ地方にいる選ばれたトレーナーのもとまで届け、孵化を見守ること。
     今までに発見されたどのタマゴとも違うものらしく、悪質なハンターやコレクターに狙われる可能性もある。 そのためにナナカマド博士との接触は必要最小限に抑え、活動拠点として、ここのマンションを選んだんだ。
     ……が。 こんな早々に見つかるっていうのは、ちょっと俺としても予想外。
     多分、兄ちゃん狙われるだろうし、しばらくオトリになってあの人たちをまくから、それまでこのタマゴを預かってほしいんだ。
     それで、もし、プラチナがこのポケモンにふさわしいと思うトレーナーが現れたら、その人にタマゴを預けて欲しい。」
    「だったら、さっきのシロナさんって人は? すごく強かったし……」
    「あの人はダメだ。」
    きっぱりと言い切った彼の言葉に、パールが「なんで?」と小さく声をあげた。
    ゆっくりパールの方へと顔を向けていたカヅキの手から、タマゴ1個分の重さが消えていた。
    顔を戻すと、青いタマゴを抱えたプラチナが兄の顔を見上げ、口元に笑みを浮かべている。
    「いいよ。 あたし、それ引き受ける。」
    「ヒカリ……」
    「あ! でも、あんまり無茶しないでね! 無事で帰ってきてね!」
    タマゴを抱えたまま次々と口を開くプラチナを見て、兄は苦笑気味に笑う。
    「そんなに悲しい顔しないでよ。 オトリって言っても、別に危険に身を投じるわけじゃないんだからさ。
     それに、ヒカリと連絡も取れるらしいんだ。 だよね?」
    「あ、はい!」
    振り返った彼に返事をしたのは、部屋で待っていたペラップのトレーナーだった。
    腕に抱えたポケモンの音符のような黒い頭が揺れると、黄色いクチバシがカチカチと音を鳴らす。
    「ヒカリガアブナイ! ヒカリガアブナイ!」
    「こら、ペッチャラ!」
    「しばらくの間、彼のペラップを貸してもらえることになったんだ。」
    「受験勉強で当分出かけられないんだけど、こいつの運動不足も心配だし……
     だけど最近、街にいると変な言葉ばっかり覚えてきて正直気味が悪かったから、だったら旅のトレーナーさんに連れて行ってもらった方が、少しはこいつのためかなーって。」





    「……それで。」
    「うん、あたしのポケモンじゃないけど、旅についてきてもらって時々ショーを手伝ってもらってるの。
     ね、ペラップ?」
    「アー、オナカスイタ!」
    1つ空いたイスの背にとまったペラップが、翼をバサバサと鳴らす。
    バシバシと頬を叩かれながら、同席していたパールがサラダの菜っ葉をひとつつまみ、黄色いクチバシの前に差し出した。
    もしゃもしゃという音を響かせながらそれを食べるペラップを、マイがナイフの柄で指してプラチナに尋ねる。
    「……じゃあ、このペラップにはお兄さんのメッセージが?」
    「そう、ちゃんとしたメッセージを覚えさせるには少しコツがいるんだ。」
    見ててね、そう言って、プラチナはもしゃもしゃとサラダ菜をむさぼるペラップに、細い指先を突きつけた。
    再生プレイ!」
    「くわっ!」

     『ハハッ、元気そうで安心したよ。
      ところで、来月ヨスガシティで大規模なポケモンコンテストをやるのは知っている?
      コトブキやハクタイに次いで大きな街だから人目を避ける場所もあると思うし、1度、会えないかな?』

    もう1度「くわっ!」とペラップが鳴き声をあげたのと同時に、プラチナとパールはお互いに顔を見合わせた。
    「師匠が……!」
    「ポケモンコンテスト……!」
    同時に放たれた異口異音を聞きながら、マイは運ばれてきた魚の切り身を口にした。
    短い間ではあったが、彼らと触れ合ってきてこの次にどう行動するのかは分かってきた。
    きっと2日と経たず、旅に出るだろう。 そして……
    「……いってらっしゃい。」
    「マイ。」
    「また旅のお話、聞かせてね。」
    目を丸くしているプラチナに、マイは微笑みかけた。
    ピンク色の唇でにっこりと笑うと、プラチナはマイの手を取ってちぎれんばかりに振り回す。
    「もちろん! 今度はマイの話も聞かせてね!
     あたし楽しみにしてるから!」
    結局、終始振り回されっぱなしだったが、不思議とマイは悪い気はしなかった。
    彼女の後ろの時計が、船の時刻が近づいていることを告げている。
    氷に埋もれていたアイスティーを一気に飲み干すと、マイは小さなポシェットを手に取って立ち上がり、プラチナとパールの顔を見比べる。
    「それじゃ。」
    「うん、また絶対会おうね!」
    立ち上がったプラチナに手を振ると、マイは足音も静かに店を出て行った。
    肌を伝うひやんとした風に顔を上げると、高く昇った三日月が街灯に負けないほどの光で足元に照らしている。
    「体に気をつけてね! ケガしないようにね!」
    静かなナギサに似合わない高い声が響いてマイは振り返る。
    「いい旅を! マイの探してるポケモン、会えるといいね!」
    店の入り口からプラチナが紅潮した顔を覗かせていた。
    どこの酔っ払いかと振り返る人たちの視線を浴びながら、プラチナはマイに向けて大きく手を振っていた。
    マイは笑った。 これがプラチナなのだ。
    「……私も、あなたたちの旅の無事を祈ってる。」
    「元気でねーっ!」
    「おいっ、あんまり大声出すなって!」
    パールに引っ張られて店の中へと戻っていく彼女を見送ってから、マイはプラチナに背を向けた。
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