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    未完成なカレンダー 第5話『不穏な森とウサギのジャック』







    そのポケモンは、通りすがりのニャルマーに花束を贈ろうとして、無視されていた。
    「ジャック、やめなさい。」
    そのポケモンは、木陰で休憩していたトレーナーのユキメノコの前でタップを踊り、カチコチに凍らされていた。
    「ジャック、やめなさい!」
    そのポケモンは、バトル相手のキルリアに勝手に『メロメロ』を使い、失敗して落ち込んでいた。
    「……ハート、お願い。」
    「ぴかっちゅーっ!」

    もこもこの毛から煙を出して倒れているジャックを、マイは無表情で見下ろしていた。
    「……本当にユニーク。 あなたのポケモン。」
    「旅に出たときからミミロルは欲しかったんだけどね。
     まさか、こんな変なのをゲットするとは思わなかったよ。」
    感電したジャックをモンスターボールに戻しながら、プラチナはため息をつく。
    「捕まえたときからそうだったの?」
    「うん。 ていうか、そもそも……ジャックと最初に会ったのが、ハクタイの森でナンパされたからなんだよねぇ。」





    ソノオタウンより北の方向、205番道路を真っ直ぐ進むとハクタイの森がある。
    シンオウ地方としては珍しく、うっそうとした広葉樹の森は、まだ昼前だというのに薄暗く、日の光に温められていた二の腕をひんやりと冷たくする。
    大きく吐いたため息が白い湯気に変わって、プラチナは思わず自分の唇を噛むように口をつぐんだ。
    「もー! なんでこんなに寒いの、ありえない!」
    「ヒカリが行きたいっつったんだろ? 行き先自分で決めといて文句言うなよな!」
    「寒いなんて聞いてないもん!」
    だだをこねるように地面を蹴ったつま先が目の前をかすめ、バトルを終えたばかりのキングが壊れた笛のような鳴き声をあげる。
    口の周りに白いもやを作るプラチナを追い越すとパールは彼女の方へと振り向き、後ろ向きに歩きながら質問を投げかけた。
    「けどよ、なんでハクタイシティなんだ? 西に向かえばミオ行きの船だって出てんのにさー。」
    「街の外れにフィールドワーク用の家があるの。
     ソノオの花畑も見てみたかったけど、あそこって花が咲いてないと本当になーんにもないところだし……
     移動用の拠点を作っときたいんだよねー。」
    防寒というにはあまりに頼りないピンク色のマフラーを肩にかけると、プラチナはそう言って唇に指をあてた。
    その指がふわりと空を指す。 言葉を続けたプラチナの瞳は輝いていた。
    「それに! この森にはすっごい可愛いポケモンが生息してるんだよね。」


    そう言ったそばから近くの草むらが音をたて、プラチナとパールは視線をそちらに向ける。
    気配を殺して湿った幹の間から音のした方を伺うと、プラチナたちの住むフタバタウンの近くではあまり見かけない小さなピンク色のポケモンがごそごそと動いている。
    「アレ?」
    「……わかんない。
     でも見たことないポケモンだし、捕まえたら博士喜ぶかも。」
    ひそひそと小声でそう言うと、プラチナは足元のキングに目配せする。
    こくりとうなずき、キングはピンク色のポケモンに向かって木陰から飛び出す。
    そして、目にもとまらぬ速さで空へと飛び上がってプラチナたちの視界から消えた。
    「ぴっきゅーっ!!?」
    「すげえ! 飛べるのか、お前のポッチャマ!」
    「そんなわけないでしょ! キング!?」
    プラチナが呼ぶと、ほぼ頭の上と言っていいほど上から「きゅー」と、キングの声が降ってくる。
    見上げると、ドラマや漫画でたまに見る捕獲用の網に絡まったポッチャマがぶらぶらと揺れながら短くて青い羽を振っていた。
    なんでそんなことに、と、プラチナが上を見上げたまま開きっぱなしの口から白い煙をあげていると、右の耳に明らかに小さなポケモンではないガサガサという草をかき分ける音が聞こえてくる。

    「あ……あら、あれ……? こっ、子供……?」
    長いスカートの裾で草むらをガサガサいわせながら、プラチナたちの前に現れた女の人はひどく狼狽した顔でプラチナとパールの顔を見比べた。
    防具のつもりなのか、今にも折れそうな細い枝を体の前に突き出して辺りの様子を伺うと、上空でバタバタしているキングに気付き短く悲鳴をあげる。
    「きゃあっ! た、大変!
     今、降ろします! ラッキーさん!」
    女の人がモンスターボールを投げると、中から子供ほどの大きさをしたピンク色のポケモンが飛び出す。
    「『たまごばくだん』!」
    「らきっ!」
    花火のような白く光る球体が真上へと打ち上げられると、あまり大きくはない爆発音とともにキングが空から降ってくる。
    落ちてくるのを受け止めきれずにキングが乾いた落ち葉に埋もれると、ピンクポケモンのトレーナー表情が凍りついた。


    「ごごっ、ごっ、ごめんなさい! ごめんなさい! まさかポケモンがかかるなんて思わなくって!」
    「って、ポケモン用の罠じゃねーの?」
    頭から落ち葉に埋まったキングを引き抜いて泥を払っているプラチナの横で、パールが女の人に尋ねる。
    「はい、私……あっ、私、モミっていいます。 このハクタイの森を抜けて北に行こうとしていたんですけど、なんだか怪しい人たちがうろついてて、それで怖くなっちゃって……
     襲われないように罠を仕掛けながら進んでたんですけど、まさかこんなことになるなんて……」
    とても旅慣れているとは思えない森色のワンピースをぎゅっと強く握ると、モミと名乗った女性は木の枝を足元に落としてキングの方をチラリと見た。
    上がったり下がったりで気持ち悪そうにしているキングをモンスターボールに戻すと、プラチナは代わりにスボミーのクローバーを呼び出した。
    「えーと、じゃあ、この辺には他にも罠があるってこと?」
    「は、はい……だからあんまり不用意に歩かないでくださいね。
     ずっと罠を仕掛けながら進んできたものですから、なかなか回収が間に合わなくて……」
    「仕掛けながら……?」
    少し遠くで悲鳴が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
    「危ないから早く解除してよ、あたしたちだって森を抜けてハクタイシティに行きたいんだから。」
    「そ、そうですよね。 こんなやり方じゃいつまで経っても森を抜けられそうにないし……
     少し待っててくださいね。 仕掛けた罠を回収してきます。」

    濡れた落ち葉を蹴飛ばすようにしながら遠ざかっていくモミの背中を見ながら、プラチナは頬杖をついてその場にしゃがみこんだ。
    「どう思う、ジュンちゃん?」
    「「どう」つっても、あの人の言う『怪しい人』が何なのか、はっきり聞いてねーしなぁ……
     谷間の発電所にいた奴らがこっちに来たのか、それとも、それとは違う奴らがいるのか、どっちにしてもやべーよなぁ……」
    「そういうことじゃなくって。」
    森の匂いをかいでうっとりとしているクローバーを抱き上げると、プラチナは木々に紛れるようなモミの背中に強い視線を向ける。
    「あの漫画でしか見ないような古典的な罠を一体どこで買ったのかってことよ。」
    「……そっち?」



    「お待たせしました。」
    その場を下手に動くことも出来ず、立ちぼうけのままパールが2つあくびした頃、モミは長い髪に茶色い葉っぱをたくさんつけて戻ってきた。
    待ちくたびれてしまったプラチナはクローバーを飾り付けて遊んでいる。
    「罠、多分ですけど全部回収出来たと思います。
     ご迷惑おかけして本当にごめんなさい。」
    「いや、いいけどさ。 最近物騒なのは確かだし。」
    少し不穏なことを言っていた気もするが、パールはそこに触れることを避けた。
    「あ、あの、ずうずうしいお願いかもしれませんが、森を抜けるまでご一緒してもいいですか?」
    やっぱり、と、パールは肩を落とす。 ハクタイシティに行くって言っちゃったし。
    赤いきのみを繋げられないか試行錯誤しているプラチナを呼び彼女のことを尋ねると、あっさりと同行の許可が下りる。
    寒さで震えていたプラチナに、モミは羽織っていたストールを貸した。
    暖かいと喜ぶ彼女の顔にパールはホッとしたが、同時にどうとも言えない気持ちが胸の中に渦巻いた。
    いくら春先とはいえ、ミニスカにノースリーブはないんじゃないかと。

    「……じゃあ、モミさんはハクタイシティに行くわけじゃないんですね。」
    罠騒動でのいらつきと焦りからため口と敬語がぐちゃぐちゃになっていた3人だったが、ティータイムを過ぎる頃にはそれぞれ歳相応の受け答えへと修復していた。
    「そうなの。 もちろん、通り道としては使うけれど、私が向かうのはもっとずっと先のキッサキシティよ。」
    「キッサキ!? シンオウの最北端じゃねーか!」
    「遠いでしょう? でも、私、トレーナーとしての自分の実力を確かめたくって。」
    「ああ、それで」と納得するパールと「だったらジムに挑戦すればいいのに」と言うプラチナの声が被る。
    モミはクスクスと笑うと、2人を見比べ少し意地悪そうな顔でプラチナへと尋ねる。
    「2人は付き合ってるの?」
    「はぁっ!? なんでっ!? あり得ないッ!!」
    「ありえ……」
    「あたしとこいつ、ただの家が隣りなだけの腐れ縁だからッ! 世界がひっくり返っても付き合うとかあり得ないからっ! 勘違いしないで!!」
    「はいはい。」
    「……なんかその答え方、ママにからかわれてるみたいで腹立つ。」
    顔を真っ赤にしているプラチナにいたずらっぽい瞳を向けると、モミは木々の間から流れてくる冷たい風に長い髪を遊ばせる。


    ポケモンが飛び立ったのか、一瞬プラチナの顔に小さな影が落ちたとき、先頭を歩いていたモミのポケモンが前方を指して鳴き声をあげた。
    「どうしたの、ラッキーさん?」
    「ら、らき!」
    タマゴのような丸い体から伸びた指先に全員の視線が集まる。
    青にも近い緑色の光の中、木漏れ日が集まる小さな切り株の上に1匹のポケモンが乗っていた。
    ケーキの上に乗る砂糖菓子のような、茶色い身体からモコモコの毛が生えた耳の長いウサギのようなポケモン。
    「ミミロルだ、かわいいっ!」
    身を乗り出して叫んだプラチナに、パールは「え」と声をあげる。
    確かに切り株にいい感じの光が当たってはいるが、その光の根っこ辺りの枝は不自然に折れているのだが。
    後ろ足を包むようなモコモコの毛も、死角になりそうな尻尾の辺りが手入れが行き届いていなくてあちこち飛び出しているのだが。
    「お前、あーゆーのが好み……?」
    「あったりまえでしょ! ミミロルが可愛くない女の子なんていないわよ!
     絶対ゲットするんだから、クラブッ!」

    鼻息も荒くプラチナはモミやパールの前に走り出ると、抱えていたクローバーを投げるように切り株のミミロルの前へと放つ。
    「行くわよッ、『すいとる』こうげ……き……?」
    目の前の光景にプラチナは固まった。
    まるで恋人が愛をささやくように、スボミーの背後から小さな緑色の身体を抱きしめているミミロル。
    どこのラブロマンスかと尋ねたくなるようなピンク色の光景もクローバーからしてみれば恐怖でしかなかったらしく、体長20センチとは思えないような金切り声をあげると毒花粉をまき散らしながらクローバーはミミロルを振り払った。
    「めっ、『メガドレイン』!」
    我に返ったプラチナが指示した攻撃を、ミミロルはほぼ逆さまの体勢から耳の力だけで飛び上がってあっさりとかわす。
    ウインクつきの投げキッスをされ、クローバーは本気で震え上がっていた。
    「落ち着け! 『てんしのキッス』じゃない、ただの投げキッスだ!」
    「そういう問題じゃないっ!」
    噛み付くように怒鳴ると、プラチナはすっかりおびえているクローバーをモンスターボールへと戻す。
    途端にミミロルは舌打ちをし、飛び跳ねながらどこかに消えてしまった。
    ぽかんと開いた口がふさがらないまま、プラチナたちはその場に立ち尽くす。

    「え、なに、今の……」
    目を点にしたままプラチナが声を出すと、モミは自分の腕を抱えて考え事をするポーズで小さく息を吐く。
    「もしかして……ナンパだったのかしら? 私のラッキーさんもピンプクさんも、今、モンスターボールの中だし……」
    「なんだよそれ、メスなら何でもよかったってこと?」
    答えきれず、モミが小さくうなるとパールはミミロルが去っていった方向に軽蔑の眼差しを向けた。
    顔色の悪いプラチナに横目を向けると、モミは枯れ葉の地面に視線を落とした。
    少し不自然ではあるが口角を上げて笑顔を作り、彼女の視界に入るように人差し指を空に向ける。
    「そうだ、この近くにすてきな洋館があったはずだから、気分直しに寄っていきません?」
    「こんな森の中に洋館?」
    聞き返したのはパールだったが、プラチナもいくらか気が逸れたのか顔を上げた。
    「そう、私が子供の頃に来たことがあるんだけど、まるで童話の世界みたいに素敵なお屋敷でね。
     ふかふかのじゅうたんに、ずっしりとした調度品。 本棚には見たこともない外国の本が並んでいて、真っ赤なカーテンを見てると、まるで自分が王様になった気分よ。
     お庭も、年中綺麗なバラが咲いているから、近づくだけでもすごくいい匂いがするの!」
    「あ、それいい!
     クローバーも綺麗なお花を見れば喜ぶと思うし!」
    「んじゃ、行くか。 その洋館ってとこ。」
    銘々賛成の言葉を口にすると、3人はモミの案内で森の洋館へと足を向ける。
    そこに辿り着くのに、それほど時間はかからずに済んだ。
    ただし、辿り着いた場所は、想像していた素敵な洋館には、程遠い姿をしていたが。



    自分たちよりも大きな鉄門扉を前にして、3人は言葉を失っていた。
    確かに、広い庭には埋め尽くすほどのバラが植えられていた。 花一厘すらない有刺鉄線のようなツルしか見えないが。
    その奥には確かに童話に出てくるような広くて立派なお屋敷がある。 『眠り姫』が閉じ込められていたお城が一番イメージに近いけれども。
    「あれ、おかしいな……家の手入れをサボるような人たちじゃなかったんだけど……」
    穴だらけの花壇を見てモミが首を傾げる。
    門には鍵がかけられていなかったが、開こうとしても絡まったツタに引っかかって動かない。
    「ムダだとは思うけど、ちょっと見てくる。」
    そう言ってパールはサルのようにするすると門扉を乗り越えた。
    期待はずれの洋館につまらなさそうな顔をしてプラチナが牢屋のような鉄柵に背中を預けると、同じように腰を下ろしたモミがいたずらっぽい瞳で彼女へと話しかけてきた。

    「ねえ、本当のところ、どうなの?」
    「どうって?」
    「彼。 夢も目標もあるのにあなたの旅についてくるとか、好きじゃないとなかなか出来ないと思うんだけど?」
    「やめてよ。」
    呆れたように長い髪を払うと、プラチナは足を動かさずに姿勢を少し変えた。
    「あいつとは親同士が仲良くって付き合いがあるってだけなんだから。
     あたしの方が年上なのにお兄ちゃん気取りだし、そのくせ、なにかっていうとあたしの行く先についてくるし、ホント、ラブの対象になんてならないって!」
    苦笑いして話題を変えようとモミが腰を上げたとき、遠くから人の足音が聞こえて2人の視線はそちらへと向いた。
    あまり視界のいい場所ではなかったが、洋館から細く続く道の先から、銀色の服を来た2人組がプラチナたちの方へ近づいてくる。
    プラチナは眉を潜める。 Gのマークがついた宇宙人のような銀色の服は、この間谷間の発電所を襲った人たちと同じものだ。


    不自然な2人組はプラチナたちの前まで来ると、いぶかしげに顔を見合わせた。
    「先遣隊など聞いていないぞ、ガニメデ。」
    「私もだ、カリスト。」
    ガニメデと呼ばれた青い瞳の男は、黒い仮面をつけた女性にそう答えてプラチナたちの方へと近づいてきた。
    「今、この刻より、この場所はワレワレ、ギンガ団のものとなる。
     立ち去れ、醜きものたちよ。」
    「はあ? いきなり来て何?」
    「すみません。 私たち、ここで男の子を待っているんです。
     その子が戻ってくるまで待ってもらえませんか?」
    いきりたつプラチナをさえぎるようにモミが怪しい2人組にそう説明すると、銀色の服を着た2人は顔を見合わせて何かを話し出した。
    せっかく暖まってきた空気を冷やされるような気味の悪さを感じていると、プラチナの目の前に、子供の拳ほどの大きさをした赤と白の球体が突きつけられる。
    「作戦コードJ3-1127。」
    「及び、作戦コードJ4-610。 実行する。」

    謎の呪文が唱えられたかと思った瞬間、プラチナの目の前で冷たい水が爆発した。
    いつの間にか肩にとまっていたキングが草むらを這うようにしているピンク色の軟体生物を睨み付けている。
    「何すんのよっ!」
    叫んだ直後、感じたこともないような殺気に襲われてプラチナは顔を強張らせる。
    落ち葉を巻き上げてすぐ足元まで迫っていた黒いポケモンは、プラチナの腹を狙っていた。
    転がり落ちるように間に入ったキングが『たいあたり』の直撃を受け、背中で鉄柵を叩きガシャンと大きな音を立てる。
    「カラナクシとゴンベです! プラチナさん!」
    「わかってる!」
    プラチナは気絶したキングを抱えたままクローバーを呼び出す。
    身体の小さいクローバーをかばうようにピンク色のタマゴ型をしたポケモンが立ちふさがった。
    「お手伝いします! ラッキーさん、『タマゴばくだん』!」
    「らきっ!」
    タマゴ型のポケモンはおなかの袋から白い卵を取り出すと、カラナクシたちの方に向かって投げつけた。
    爆弾というにはあまりに軽すぎる爆発音とともに、積み上がった落ち葉が舞い上がる。
    カラナクシが水を吐くと、その舞い上がった落ち葉も一斉に落とされた。 続けて指示を出そうと上げられたガニメデの指先が、電気に当てられたようにピクリと痙攣する。
    「クローバー、『メガドレイン』!!」
    舞い上がった落ち葉に隠れて近づいたクローバーのつぼみがカラナクシの柔らかい身体を突き刺した。
    緑色の光が辺りを照らし、それと同時にカラナクシのぐにゃぐにゃの身体が小さなモンスターボールへと吸い込まれる。
    モミが小さく声を上げかけたとき、ピンク色の物体が目の前を通り過ぎた。
    がしゃん、と、鈍い音を響かせ鉄柵に寄りかかったモミのラッキーは、既に動けないほどのダメージを腹に食らっている。

    口元を引きつらせたまま、プラチナはカリストと呼ばれた仮面の女性の方に顔を向けた。
    洋館から出てきた亡霊ではないかと思うような漆黒の仮面は、その下の表情も読み取れず、何をしてくるか分からない不気味さをかもし出している。
    ラッキーと同じ不意打ちを食らわないように、プラチナはクローバーをゴンベの方に向き直らせた。
    だけど、ゴンベの力はスボミーの倍以上だ。 まともな打ち合いになったら、まず勝ち目はない。
    「クラブ! 『しびれごな』!」
    舞い上げるように放たれた『しびれごな』の真ん中をゴンベは突っ込んできた。
    太い腕にスボミーの小さな身体が組み伏せられる。
    「小細工など効かぬ。」
    締め上げる腕に力を込められ、クローバーは悲鳴をあげた。
    ジタバタともがく小さな足にモミが声を上げかけたとき、パキッと枝の折れる音が鳴り、小さなポケモンが空から飛び込んでくる。

    「……みみみぃーッ!!」

    甲高い鳴き声と同時にスボミーを組み伏せていたゴンベが蹴り飛ばされ、プラチナは目を丸くした。
    酒樽のように転がったゴンベは自分を蹴りつけてきたポケモンを睨みつける。
    100キロを超えるポケモンを動かしたとは思えないほど、そのポケモンは小柄だった。
    茶色い毛並みに、長い耳。 ケーキに乗る砂糖菓子のような、女の子好きのするウサギのようなポケモンだ。
    「さっきのミミロル?」
    毛玉のような後ろ足で落ち葉の上に降り立つと、ミミロルはゴンベを睨みつけた。
    蹴った後ろ足で落ち葉を舞い上げると、長い耳でゴンベの横っ面を叩く。
    「『でんこうせっか』……!」
    「異常発生。 作戦コードJ4-610。 野生ポケモンより攻撃。 カリストよりジュピターへ、指示を求む。」
    ゴンベは起き上がると、地響きをあげながらミミロルへと迫ってきた。
    クローバーのように押しつぶそうと上げられた太い腕を、ふわふわの耳が受け止める。
    小さな身体に似合わない力で押し返すと、ミミロルは後ろ足を蹴って飛び上がった。
    「みーっ!!」
    放たれた『とびげり』はゴンベの横っ面を叩く。
    ゴンベはよろめいたが、蹴りを繰り出したミミロルの足をしっかりと掴み、動きを封じる。
    「……叩きつけろ。」
    カリストの指示に、ゴンベはミミロルの足を持った手を振り上げる。
    モミは思わず、倒れているラッキーにしがみついた。 だが、ミミロルを叩きつけるような鈍い音も、地面を揺らすようなゴンベの足音も聞こえてこない。
    不思議に思ってモミが振り向くと、ミミロルを持ち上げた体勢のまま、ゴンベはゆっくりと積み上がった枯れ葉の上へと倒れこんだ。

    「……小さいからって、油断してたでしょ。
     『せいちょう』で威力を底上げしてあげれば、『すいとる』だってそれなりの威力になるんだからね。」
    黒い仮面の下の表情がわずかに変わるのをモミは感じていた。
    相手のポケモンを倒してなお身構えたままのクローバーと指示した指を下ろさないプラチナを見ると、カリストは細い拳を強く握り締める。
    「カリスト。」
    今にも殴りかからんばかりの彼女にガニメデが声をかけると、カリストはガニメデを睨みつけた。
    「今、指示が出た。 コード0だ。」
    「コード0。」
    舌打ちすると、仮面の女はゴンベをボールへ戻す。
    身構える間もなく『けむりだま』の煙に紛れ、2人はどこかへと消えてしまった。


    気配が完全に消えると、プラチナは大きく息を吐いた。
    透明なもやとなって消えた吐息の向こうでは、クローバーと茶色いポケモンが銀色の2人組の去っていった方向を睨みつけている。
    「もういいよ、クラブ。 多分大丈夫。
     ちょっと危なかったかもね。 ほら、助けてくれたんだからお礼言って。」
    そう言ってプラチナはクローバーをミミロルの方へと向き直らせる。
    おずおずとクローバーがミミロルに小さなつぼみを向けたとき、正面から抱きしめられて、クローバーは悲鳴をあげた。
    「みーみーみー」
    「ちょっ……! クラブに何すんの、このエロウサギッ!!」
    プラチナが怒鳴るのと同時に、パニックに近い状態のままクローバーはつぼみから『しびれごな』を噴き出した。
    顔の真正面からモロに粉を浴びたミミロルは、そのまま身体を硬直させてその場にばったりと倒れこむ。
    反射的に、プラチナはモンスターボールを投げていた。
    1回、2回、3回。 ボールが揺れて、カチリと音を立てる。
    バッグのポケモン図鑑がピピッと音を立てた直後、プラチナは我に返った。
    「……こんなの捕まえてどーすんのよぉ。」
    確かにミミロルだけど。
    この先の事を考えると気が重い。





    「……まー、失礼な話だよな!
     せっかく助けてくれたポケモンを、エロウサギ呼ばわりして『こんなの』扱いだもんなー。」
    小山のようなポケモンの上であぐらをかきながら、パールは呆れたような声を出して背中をかいていた。
    「なんで、あんたがここにいるのよ。」
    「ノモセジムへの挑戦が終わったからナギサに向かってんだろ?
     ヒカリこそどーなったんだよ? バトルレストランに新しい風を送り込む! とか息巻いてたやつ。」
    まさか弁償沙汰1歩手前だったとも言えず、プラチナは言葉に詰まった。
    途中から話に割り込まれて不思議そうな顔をしているマイに簡単に自己紹介すると、パールは乗っていた自分のポケモンの背中から降りる。

    「……ところで、」
    いまいち話を飲み込めないまま、マイはプラチナとパールに視線を向ける。
    「そのおかしな人たちと戦っている間、彼はどうしてたの?」
    マイが質問すると、今度はパールが「うっ」と息を詰まらせた。
    おかしなことでも聞いたかしら、と、首を傾げるマイに向けて、プラチナは腰に手を当てて怒りの顔を見せる。
    「それが、いばらのツルに絡まったとか言って、結局30分もかかったのよ!
     ほーんと、いっつもおっちょこちょいなんだから!」
    そう言いながら、プラチナはマイに耳をふさぐジェスチャーをする。
    頭の上にハテナを浮かべながらマイが耳をふさいだ直後、海岸線にパールの声が響き渡った。

    「なんだってんだよー!!」
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