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    未完成なカレンダー 第9話『パールのバトルとハートの尻尾』







    ゆっくり倒れてゆくギョクの姿を見て、パールは目の前が真っ白になった。
    それをした当のピカチュウは涼しい顔をして、先がハートの形をした尻尾を揺らしながら、ダイヤの肩の上でどこにいるかも分からない誰かに愛想を振りまいている。
    「まさか……」
    たった1匹に全滅させられるなんて、
    言葉にならない衝撃を受け止めきれずその場にひざを突くと、ダイヤの少し低い声が遠くから聞こえてきた。
    「筋は悪くなかった、予想以上だ。
     だが、まだまだ熱い。 ピンチに陥ったとき冷静になれていないな。」
    ダイヤはピカチュウをモンスターボールへ戻すと、転がっているギョクのボールを拾い上げてパールの前に置き、ポケモンセンターに行くよう伝えるとパールの前から姿を消した。
    膝と膝の間で物言わぬボールを見つめると、パールは服の前を握りしめる。
    言葉にならない衝動が体の中を駆け巡った。
    「……なんだってんだよーッ!!?」
    まばらな人混みが一斉にパールの方へ振り返る。
    背中に冷たい視線を感じながら、パールはギョクのボールを拾い上げると、ポケモンセンターの方角へと向かって行く。



    ポン、と肩を叩かれた感触でパールは我に返った。
    いつの間にか景色はポケモンセンターの中へと変わり、目の前には心配そうな表情で自分を見つめるカヅキの顔がある。
    「やっと見つけた。 いつまで経っても連絡ないから探したよ。」
    「師匠?」
    「ヒカリは?」
    半分夢を見ているような感覚で受け答えしていたパールはその一言で我に返った。
    パクパクと口を動かすと、握りつぶすほど強くカヅキの手を握り締め、一気に言葉をまくし立てる。
    「師匠ッ!! たいへっ、大変なんだ!!
     プラチナが、おとっ、男になっちまった!!」
    「はあ!?」

    大きく口を開けたカヅキにパールは今日あったことを説明した。
    まるで要領を得ないそれを辛抱強く聞き取ると、カヅキは深く息を吐いて癖の強い髪の中に指をうずめた。
    「……何の冗談だよ。」
    「違っ……!」
    「分かってる。 分かってるけど……そう言いたくなる俺の気持ちも察してくれよ。」
    額に手を突いたままうつむくと、カヅキはそのままの姿勢で視線だけパールの方に向けた。
    「それで……そのダイヤ?って人は、今、どこに?」
    「わかんねえ。 バトルで勝った後どこかに行っちまった。
     そいつ、バトルが滅茶苦茶強くて、プラチナのハート1匹でオレのポケモンを全滅させてさぁ……」
    「ハートは元々父さんのポケモンだからなぁ……」
    初耳、と、いった表情でパールは目を見開いた。
    意外そうな顔でパールのことを見ると、カヅキはハートがプラチナのポケモンになった経緯を説明する。
    それは、フタバタウンを雪が覆い尽くす冬の日の出来事だった。





    吹き消された12本のロウソクが、ヒカリの次の1年を約束していた。
    軽快に手を叩く音とともに部屋の明かりがつけられると、白いケーキを前にした彼女はくすぐったそうに頬をゆるめる。
    「ヒカリちゃん、誕生日おめでとう。」
    「ありがと、ママ!」
    「おめでとう、ヒカリ。」
    「ありがとう! お兄ちゃんの買ってくるケーキ、いつもすっごくおいしいから大好き!」
    そう答え、ヒカリは目の前を動くチョコレートのプレートに視線を泳がせた。

    「それにしても、父さん遅いね。」
    「もうケーキ切っちゃおうよ、ハクジョーなパパなんて放っておいてさ! ねー、ニャルマー!」
    「にゃあ?」
    暖房の近くで丸くなっていたヒカリの母アヤコのポケモン、ニャルマーは細い目をほんの少し丸くさせる。
    「ヒカリ、父さんだって仕事なんだからさ……」
    「でも、パパの仕事場、隣町じゃない?」
    バネのような尻尾を使って起き上がってきたニャルマーを膝の上に乗せると、ヒカリは細い眉を潜めた。
    「お兄ちゃんみたいに遠くに行ってるわけでもないのに、可愛い可愛い娘の誕生日にも帰ってこないなんてさ!
     そんなハクジョーなパパなんてケーキなしでいいよ!」
    そう言うとヒカリは人差し指を突き立てる。
    指先は自分から順々に、
    「そしたら、ケーキはえーっと、あたしでしょ、ママに、お兄ちゃん……」
    「にゃー」
    「ニャルマーに、ガルちゃん、ベビちゃん……」
    「ぴー」
    「ピカチュウに……」


    「………………ピカチュウ?」
    「ぴか」
    机のふちから顔を覗かせた黄色い物体を見て、ヒカリは目を瞬かせた。
    電気ネズミはパタパタと尻尾を動かして、机にアゴを乗せたままヒカリのことをじっと見つめている。
    バタンと、扉が開いた。
    「ただいまぁ。」
    「パパ!」
    「ぴ」
    雪崩のように入ってきたその人物は、真っ白に曇ったメガネをヒカリの方に向けると、凍った頬を引きつらせてコートから雪を落とした。
    「ヒカリ、誕生日プレゼントだよ。」
    「ぴかちゅ!」
    机のふちにぶら下がっている黄色い生き物を持ち上げると、メガネの男性は冷え切ったその小さな身体をヒカリの鼻先へと押し付けた。
    ニャルマーが膝の上から滑り降りるのと同時にヒカリがその生き物を持ち上げると、ピカチュウは何がおかしいのかケラケラと笑い、ひんやりとした長い尻尾をヒカリの頬に押し付ける。
    視界の端に違和感を感じ、ヒカリはピカチュウを膝の上に乗せた。
    好奇心を押さえきれないような顔をしたピカチュウの尻尾を持ち上げると、尻尾の先がちょうどハートの形に見えるように割れている。
    「パパ、この子……」
    「かわいいだろう? 女の子なんだよ。
     ヒカリももう12になるから、そろそろ自分のポケモンを持っていい頃かと思ってね。」

    そのとき、カヅキはヒカリの表情が雪山の太陽ほどに輝くだろうと予想していた。
    だが、その予想に反し彼女の顔は今にも雨が降り出しそうな曇り模様で、不思議そうに顔を近づけるピカチュウの尻尾をそっと頬にあてると、かわいそう、と、小さく口にすると目をまん丸にしている父親に向かってキッと強い視線を向けた。
    「パパのバカ!!」
    「えっ?」
    「またポケモンのこといじめたんでしょ! いじめられたポケモン貰ったって全然嬉しくない!!
     ポケモンをいじめるトレーナーなんていなくなっちゃえばいいんだ!!」
    「ヒカリ!?」
    ピカチュウを抱えたまま飛び出したヒカリに、テーブルを囲んでいた3人が一斉に声を上げた。
    外は大雪だ。 立ち上がった3人はそれぞれ違う色の防寒着を手に取ると、彼女が凍えないうちにと追いかけて家を出る。



    「はあ、はあ、はあ……」

    子供の足では、それほど遠くまでは行かれなかったはずだ。
    だけど、立ち止まったヒカリが辺りを見渡したときは、吹き上がる雪煙で周囲の景色は全く判別出来なかった。
    我に返ったヒカリは自分の体を見下ろす。
    寒さをしのぐにはあまりにも頼りないガーディアンに、胸の中から心配そうな視線を向けている尻尾の欠けたピカチュウ。
    「……ごめんね、ピカチュウ。 ごめん、ごめんね。」
    「ぴー?」
    丸い目を瞬かせるピカチュウから視線をそらすと、ヒカリはもう一度辺りを見渡した。
    「パパ! ママ! お兄ちゃん!」
    呼びかけてみるが、白い煙の向こうからは返事がない。
    途方に暮れて立ち止まっていると、背中に何かがぶつかってヒカリは悲鳴をあげた。
    振り返ってみるとリングマ……のような髭もじゃの老人が随分と上の方からヒカリのことを見下ろしている。
    ヒカリが固まっていると、老人は髭についた雪を払ってうなるような声で話しかけてきた。
    「……キミは、サトウの娘か?」
    「ぴかー?」
    ヒカリの代わりにピカチュウが返事をすると、老人はヒカリの腕におとなしく抱かれているピカチュウの頭をなでて、自分が着ていたコートをヒカリの頭から被せた。
    わずかな温もりが体を覆い、ヒカリはようやく自分の喉につっかえていた疑問を相手に投げかける。
    「おじいさんは?」
    「マサゴ研究所のナナカマド、キミの父親の上司だ。」
    そんな人物がなぜ、と、思ったが、老人の肩に積もりはじめた雪を見ると、ヒカリはそれを後回しにすることに決めた。
    老人がつける足跡を道代わりに雪道のなか自宅へとたどり着くと、出しっぱなしのケーキを横目にヒカリはポットのスイッチを入れた。
    「同じものを貰えるかな。」
    自分のカップにココアの粉末を落とし、お客様用のカップにコーヒーを注ごうとしたとき、老人が口を開いた。
    茶色い粉をカップの中に振り入れながら、ヒカリはいじけたようなため息をつき、自分の足元にいるピカチュウへと視線を落とす。

    「……おじいさん、どうしてパパはポケモントレーナーなんかやってるんですか?」
    尋ねられた老人は、太い白髪の眉を持ち上げた。
    「トレーナーってポケモンを戦わせるんですよね。
     パパやママのポケモンたちは幸せそうだけど、こんな……こんな、尻尾が千切れるまで戦わせなくたっていいのに!」
    「お嬢さん、それは……誤解だ。」
    老人が低い声を出すと、ヒカリは瞳の端に涙を浮かべたまま振り向いた。
    「キミのお父さんは実にポケモンを大切にしている。
     そのピカチュウは、調査に行った先で彼のトレーナーとしての実力をかわれ、譲り受けたものだ。
     決してキミの思っているようなことは起きていない。」
    「でも!」
    「実は、近々学会に論文を発表する予定でな。」
    まるで脈絡のないつなぎに、叫びかけていたヒカリの勢いが止まった。
    「今、知られているポケモンの中ではニドランのように、オスとメスで姿の違うポケモンがいるということだ。
     今度、ビッパをも見かけたらよく観察してみるといい。 オスの方が尻尾の巻きが多いことが分かるだろう。
     小さな差ゆえ、今まで見逃されてきたようだが……ピカチュウもオスとメスで姿の違うその1匹だ。」
    ヒカリはピカチュウを見下ろした。
    先の割れたハート型の尻尾には、キレイな黄色い毛並みが先端までしっかりと生え揃っている。
    「じゃあ……」
    「誓って言おう。 キミの父親はバトルでポケモンを痛めつけるような人間ではない。」
    老人がしっかりした口ぶりでそういうと、固まっていたヒカリの肩がようやく溶けた。
    やわらかなピカチュウの身体を自分の目の高さまで持ち上げると、ピカチュウは先がハート型になった尻尾をパタパタと揺らす。
    「あなたの名前、考えなくちゃね。」
    「ぴか?」
    笑ったようなピカチュウの顔を見て、老人はウム、と、うなずいた。
    ヒカリがひんやりとしたピカチュウの身体を肩に乗せたとき、つけっぱなしで忘れていたポットがピーと音を鳴らす。



    雪煙が強くなり、一旦自宅の方へと引き返してきたカヅキは同じように戻ってきたらしい父親と玄関先で出くわした。
    ヒカリの行方をたずねるが、メガネに白い雪をはりつけた父親は首を横に振るばかりで、明るい情報は入ってこない。
    同じように出て行ったはずの母親の情報に期待し、カヅキと父親が玄関の扉を開けると、中からただよってきた、むせかえるようなチョコレートの匂いに2人は顔を見合わせた。

    「ハート! じゃあ、じゃあ、あのニャルマータワーからジャンプ!」
    「ぴか!」
    「それじゃあ、次は……あの風船割ってみて!」
    「ぴかちゅっ!」
    「きゃあっ!」
    楽しそうな悲鳴をあげる妹と、それをココア片手に見守る母親と老人、それに部屋の真ん中で飛び跳ねているピカチュウ。
    ぽかんと口を開けたまま部屋の入り口で固まっていると、その存在に気づいた母親が「おかえりなさい」と2人に声をかけた。
    「サトウ、邪魔しているぞ。」
    白いひげを茶色く濡らした老人がソファから立ち上がると、カヅキの隣で父は溶けかけていた身体を再び凍らせた。
    「ナナカマド博士! なぜこちらに?」
    「ウム、彼女を私の研究所に迎え入れようと思ってな。」
    老人がそう言うと、父親は顔から外していたメガネを指先から滑らせた。
    「そんな突然に! あの子はまだ12ですよ!?」
    「ウムウ? カヅキを誘ったのも同じ年の頃だったが。
     彼には断られてしまったが、キミたちの家系は生来ポケモンと相性がいい。
     特別なことをさせるつもりはない。 ポケモンに慣れさせるという意味でも、彼女はそろそろトレーナーとしての1歩を歩き始めてもいい頃だ。
     キミもそう思ったから、彼女にあのピカチュウを与えたのではないのかね?」
    返事に詰まっていると、ヒカリは開けっ放しの扉から流れ込んでくる冷気で父親の帰りに気づいた。
    視線に気づいたピカチュウが2人を出迎え、床に落ちたメガネを鼻先で転がすようにつつく。
    ヒカリは彼女の鼻先からメガネを取り上げると、それを父親の胸元に押し付けながら満面の笑みを浮かべた。
    「パパ! この子すっごくかわいいよ!
     こんな子と一緒なら、あたし、トレーナーになってもいいなぁ!」





    カヅキの話を聞いていたパールは、会話がひと段落すると細く息を吐いて苦笑した。
    「……プラチナらしいな。」
    「ヒカリの思い込みが激しいのも、今に始まったことじゃないからなぁ。
     まあ……だから、ジュンがハートに負けたっていっても、悔しがることじゃないと思うよ。 ハートは1匹でテンガン山のポケモンたちと渡り合えるくらいのレベルだからね。」
    なぐさめのような言葉を受け取っても、あまりパールの心は晴れなかった。
    いくら彼女のレベルが高いと言っても、プラチナの隣にいるのがあのピカチュウでは意味がないのだ。
    カヅキから視線をそらし、そのことを考え込んでいると、目の前を5本の指が往復してパールは我に返る。

    パールの視線が自分に向いたことを確認すると、カヅキはすぐに切り出してきた。
    「ところで、『海のタマゴ』……どうなった?」
    「あっ」と小さく声をあげ、パールはダイヤにあった瞬間へと記憶を巡らせる。
    プラチナが倒れていたことに気を取られすっかり忘れていたが、あの時カヅキから預かった『海のタマゴ』は……プラチナのバッグは……
    「なくなってた! バッグを持ったダイヤも何も言ってなかった。」
    盗まれたのではないかとオロオロするパールを真正面に考え込むようなしぐさを見せると、カヅキは首を横に振ってそれを否定した。
    「タマゴといっても小さなポケモンくらいの大きさがあるから、ジュンが缶ジュースを買っている間にこっそりっていうのは難しいよ。
     直感だけど……多分、タマゴは自分からどこかに消えたんだ。
     だから大丈夫。 その時がきたら、必ず戻ってくる……と、思う。」


    それより、これからどうするかだよなぁ……カヅキがそう言ったとき、ポケモンセンターのアナウンスがパールのポケモンたちが回復したことを知らせてきた。
    パールはカヅキに断って席を立つと、回復した自分のポケモンたちを受け取りに行く。
    その途中、1枚のポスターが目に入った。
    きらびやかな紙面の中心にいるのは、この街のジムリーダー、メリッサ。
    まだ赴任して間もないが、独特の戦法を使うことで知られており、パールもこの街に来る前に色々と調べて、対策だって考えてきていた。
    本当なら、今日か明日の今頃には彼女とジムバッジを賭けてバトルしていたはずだ。
    考えていたら無性に悔しくなってきて、パールは回復した自分のポケモンたちを受け取ると、そのまま駆け足でカヅキのところへと戻る。
    「師匠! オレ、この街のジムリーダーと戦ってくる!
     何も考えてないわけじゃねーんだ。 でも、オレが強くならなきゃ誰も守れないから!」
    「うん、わかった。 俺は、ナナカマド博士に今回の件を相談してくる。
     またしばらく会えなくなるから、その間、ヒカリの……ダイヤと、ヒカリの身体のこと、頼むぞ。」
    「……おう!」
    パールとカヅキは、お互いの拳と拳を突き合わせた。
    そのままの勢いでパールはヨスガシティジムへ、カヅキはナナカマド博士のいるテンガン山の向こうへと足を進めていく。
    祭り近くでにぎわう街を通り抜けながら、パールは自分のボールを1つ1つ確かめ、旅に出たときの決意を新たにしていた。
    誰よりも強いポケモントレーナーになること。
    プラチナを守る強い男になること。
    その思いは、そびえ立つヨスガシティジムの扉を見た途端、急速にしぼむ。
    まさか、こんなことになっていようとは。





    「……なんだってんだよー!?」

    『本日休業日』の張り紙を前に、パールは叫んでいた。
    完全に計算外だ。 いや、計算なんてしたことないが。 とにかく冷静になろうとパールは首を振って、改めてジムの前に張られている大きな紙へと顔を近づける。
    『休業日』の下にある細かい文字に目を滑らせていると、パールは小さく「あっ」と声をあげた。
    ジムリーダーのメリッサは開業直前のコンテストホールにいると、その紙には書いてある。
    確かに、コンテストホールの開業は近くの祭りにおいて、ヨスガシティにとっても一大イベントだ。
    パールは方角を確認する。 すぐそこに見えているコンテストホールは歩いてもそれほどかからない。 だったら、走ればもっと早いはずだ。

    「よし、」と、小さく声をあげたとき、同じ方角からとてつもなく重いものが落下する、聞き覚えのある重低音が響いてきた。
    一瞬遅れてやってきた振動にパールが振り向くと、見覚えのあるハガネールがホールの入り口を背にしてゴロゴロとうなりをあげている。
    「……さいよっ!! この、……なッ!!」
    何か女性が叫んでいるのが聞こえたが、詳細までは聞き取れない。 嫌な予感がしつつも、パールはハガネールのいるコンテストホールへと足を運ぶ。
    近くまでくると、2匹のポケモンをはさんで女性同士がなにか怒鳴りあっているところだった。
    そのうち1人は、昼間メインストリートでポケモンコンテストの実演をやっていたワンピースの女性だ。
    「ダメです! 絶対ダメです! ポケモンの技はそんなことに使うものじゃないと思います!」
    「なによ、アンタだってポケモンの力でちやほやされてるくせに!!
     なにが『鉄壁ガードのお嬢様』よ、アタシがやってることと何が違うっていうの!?」
    ちりりん、と、怒鳴りあいの合間に鈴の音が鳴る。
    途端、頭痛がしてパールはその場にうずくまった。 ハッと顔を上げたワンピースの女性が横にいるハガネールに命じると、地面が揺れるほどの轟音が響き渡って別の女性が出している小さな鈴のようなポケモンが吹き飛ばされる。
    「人の心を操って名声を得ようだなんて、絶対に間違ってます!!
     ポケモンはかわいいんです、それを最大限に引き出してあげるのが、私たちコーディネーターじゃないですか!」
    パールはうめき声をあげながら顔を上げた。 ハガネールの攻撃にあてられた鈴のようなポケモンは、地面の上に転がってカラカラと乾いた音を鳴らしている。
    まだ、少し痛みの残る頭を抱えポケモン図鑑を取り出すと、画面には『リーシャン』という名前が表示された。
    「『ちょうおんぱ』と『さいみんじゅつ』の合わせ技ね。 耐性がないなら離れていた方がいいわ。」
    「え?」
    少し低い女性の声にパールが視線を上げると、ハイヒールのカツンという音とともに、目の前で黒いコートが翻った。
    向かい合っていたワンピースの女性の視線が動く。
    「あっ」と、彼女が声をあげた瞬間、コンクリートの地面を突き破って生えてきたイバラが怒鳴り続けていた女性に巻き付いて彼女の身体を締め上げた。


    「ポケモンを使って人を洗脳するのは犯罪よ。 見逃せないわね。」
    「シロナさん!」
    ワンピースの女性がそう叫ぶと、黒いコートの女性は締め上げた女の人を睨みつけた。
    「どんな心の曇りがあなたをそうさせたのか、興味はないけど一応聞いておきましょうか?」
    「うる……うるさい、オバサン! あたしにこんなことをして許されると思ってるの!?
     あたしはポケドルになる女よ!! そのためだったら何をやったってあたしの勝手でしょう!
     今日にはマーキュリーさんが来るから、それまでにあたしのファンを増やしておかなくちゃならないの!」
    聞きながら、パールは胃の辺りがサッと冷たくなるのを感じていた。
    マーキュリー。 確か、プラチナをアイドルにすると言って旅立たせた奴の名だ。
    他の女の子にも手を回していたのか。 それ自体は当然かもしれないが、目の前にいる彼女は、どう考えてもアイドルに至ろうとする経緯が普通じゃない。
    シロナと呼ばれた黒いコートの女性がバラのようなポケモンに目くばせすると、辺りにピリッとした刺激臭がたちこめた。
    視界の端や後ろで、騒ぎを見物していたと思われる人がバタバタと倒れていく。
    それを見ると、シロナは締め上げていた人物をもう1度睨みつけた。
    「これが、あなたのファン?」
    締め上げられた女の人は口の端をゆがめると、手首を回しモンスターボールを解き放った。
    薄布をまとった幽霊のようなポケモンがシロナの上へと飛び上がり、首飾りのような赤い結晶を中心に黒いエネルギーの塊を集束させる。
    「ムウマージ! 『シャドーボール』!!」
    「危ない!」
    パールが叫んだ直後、別の方向から飛んできた『シャドーボール』がムウマージのそれとぶつかって黒い爆発が起きた。
    煙の向こうで、白い手袋が揺れるのが見える。
    かがんだ膝の上から相手の顔が見えたとき、パールは「あっ」と、小さく声をあげる。


    開いたコンテストホールの扉の前に、プラチナの母親であるアヤコ、それに、もう1人見覚えのある顔が表情を硬くして締め上げられた女性のことを睨んでいた。
    「マジメにやったコンテスト、負けたときも楽しいデスネー。
     アナタのバトル、楽しくないデス。 アナタとアナタのポケモン、とてもとても悪いデス。」
    「メリッサさん!」
    白いワンピースの女性の声で、パールは片言の女性へと視線を向けた。
    そうだ。 彼女がこの街のジムリーダー、ソウルフルダンサー・メリッサ。
    脇に従えている紫色の気球のようなものは、彼女のパートナー、ききゅうポケモンのフワライドだ。
    シロナが何か視線で合図すると、メリッサはフワライドに指示を出し、女性を気絶させた。
    主を失ってオロオロしているムウマージを見上げると、メリッサは細く長く、ため息を吐く。



    「ドシテ、みんなポケモンを楽しまないデスカー?
     これで3人目デス。 この人たくさんいたら、明日のお祭り楽しくないデス。」
    「さっきの人もマーキュリーって言ってましたよね。 何なんでしょう? ミカンさん、わかります?」
    「あ、あたしにもさっぱり……」
    白いワンピースの女性から離れたアヤコの視線が自分に向くと、パールの肩はなぜか跳ね上がった。
    「あら、ジュンちゃん!」
    無邪気に手を振るアヤコにパールの口元が引きつる。
    この母親に、プラチナのことを知られるわけにはいかない。
    視線をそらしつつなんとか笑みのようなものを浮かべて近づくと、アヤコは細い指でパールの首にかかっているオレンジ色のマフラーを直し、ニコニコといつもの笑みを浮かべた。
    「あら、ヒカリちゃんは一緒じゃないのね。 ケンカでもした?」
    「い、いや! あいつは、えっと……そう! 買い忘れたものがあるっつって、街の方に!
     オレは、ジムリーダーに挑戦しようと思って別行動なんすよ! ハ、ハハハー!」
    自分でも空々しいと思うほどの高笑いにパールは心の中で泣きたくなる。
    「メリッサさんに?」
    「そう! メリッサさんに!」
    「ミィ?」
    よくわからないテンションでメリッサを指差すと、彼女は変な鳴き声をあげる。

    やけくそで変なポーズをとると、パールは叫ぶような声でメリッサへと宣戦布告する。
    「オレはパール! 世界一のポケモントレーナーになる男だ!
     ポケモンリーグに挑戦するため、ジムリーダーメリッサ! お前にバトルを申しこーむ!!」
    「オゥ、ポケモンジムに挑戦デスカ?」
    「えっと、ジュンちゃん……言いにくいんだけど、今日はメリッサさんのジムはおやすみ……」
    「イイデスヨー。」
    もはやアヤコの気がそらせればどうでもよかったパールは、メリッサの意外な返事に「えっ」と声をあげた。
    メリッサは胸元から丸いコンパクトのようなものを取り出すと、指先でそれを叩いて甲高い音を鳴らす。
    「条件2つありマス。 1つは、今、ここで戦うコト。 もう1つは、楽しいバトルすることデス。
     楽しくないバトルしたくありマセン。 あなたのバトル楽しくない、アタシ、すぐにバトルやめマス。 オウケィ?」
    「OK! じゃあ、さっそく行くぜ! ギン!」
    パールは相手の気が変わらないうちに急いでモンスターボールを投げ上げる。
    灰色の翼で飛び上がったムクバードは、決して大きくはない翼を目いっぱい広げると高い声で相手を威嚇した。
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