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    未完成なカレンダー 第8話『プラチナとダイヤと大きなカガミ』







    シンオウ第3の都市、ヨスガシティは近く訪れる祭りの準備で賑わっていた。
    高く連なるマンションの窓はあちこちにアクアリウムを思わせる透明なシールが貼られ、通りを占める大小さまざまな店はお祭りに向けたセールと、それを狙った買い物客たちでごったがえしている。
    アーケードの入り口に建てられた何かのポケモンをかたどった張り子を見上げ、プラチナは歓声をあげていた。
    「わあ! わあっ、すごいっ! 街の中全部遊園地みたいっ!」
    「プラチナ! あんまりはしゃぐと人にぶつかる……あっ!」
    パールの忠告も空しく、通りがかった人に背中からぶつかり、プラチナは慌てて頭を下げる。
    怒鳴られるかも、と、身を固くしたが、それもなく少しホッとしながら顔を上げると、ぶつかったはずの人の姿が消え、代わりにパールの走るドタドタという足音が遠ざかっていた。
    「待てッ、ドロボーッ!!」
    「ドロボー……えっ?」
    やけに軽い手元にプラチナが視線を降ろすと、持っていたはずのバッグがきれいさっぱり消え去っている。
    パールが追いかけている男のふところに、それはあった。
    あの中には兄から預かった大切な『海のタマゴ』も、ポケモン図鑑も入っている。
    背筋が冷たくなり、慌ててプラチナもドロボーを追いかけようとした瞬間、背後から現れた茶色いコートの男がポーズをつけながらドロボーの男を指差した。

    「国際警察7つ道具! 変幻自在フワンテバルーン!!」
    男が懐から何かを取り出し投げると、分銅のついた糸のようなものはドロボーの腕にクルクルと巻きつき、突然、先端に風船を作り浮き上がり始めた。
    「アーンド! 犯人逮捕イトマルネットランチャー!!」
    ガチャリと音が鳴ると、コートの男が取り出した巨大な大筒から飛び出した網が、風船と格闘しているドロボーに覆いかぶさる。
    追いついたパールが、ドロボーの手からプラチナのバッグをひったくった。
    網に絡め取られて転げまわっているドロボーの手に手錠をかけると、コートの男は立ち上がってプラチナに向かってなぜか敬礼した。
    「気をつけたまえよ。 人の集まる祭りでは犯罪発生率も飛躍的に高まる。
     浮かれるのも結構だが、用心するに越したことはない。」
    「あ、コトブキのおじさん。」
    「ぬ!? いや、知らん知らん! 人違いだろう。」
    「えー、ウソだー! あたし、人の顔覚えるの得意だもん!」
    「プラチナ、どうかした?」
    黄色いバッグを肩に提げて戻ってきたパールに、プラチナはコートの男を指差してみせる。
    「このおじさん、コトブキでもひったくり捕まえたんだよ。」
    「マジ? すげーじゃん!」
    「だから、違うと言っているだろう! 私はただの通りすがり……」
    「何で隠すの? すっごい格好つけてたのに。
     こくさいけいさーつ! ななーつどー……」
    「わー!わー!わー!わー!」
    慌ててプラチナの口を塞ぎ、コートの男は彼女を路地裏へと引きずり込む。
    追いかけてきたパールが、すごい顔をしてコートの男を睨んでいた。
    「……本当はストーカーなんじゃねーの?」
    「い、いや、私は……!」
    「じゃ、おまわりさん呼ぶぞ! こくさいけいさつなんだから問題ねーよな!?」
    「わ、わかった! 話す! 話すから人を呼ばないでくれっ!」


    それ以上パールを刺激しないよう、プラチナから手を離すと、コートの男はふところから黒い手帳を取り出しパールとプラチナに見せた。
    とはいえ、なんだかよく分からない紋章のようなものがついているだけで、パールもプラチナもちんぷんかんぷんだ。
    「私は……世界をまたにかける国際警察。 コードネームは、ハンサムだ!」
    「だから、それが怪しいっつーんだよ!」
    「ま、まあまあ、ジュンちゃん……話くらい聞いてあげようよ。
     この人一応、あたしの荷物取り返してくれたんだしさ。」
    複雑な表情を浮かべながら、ハンサムと名乗った男は咳払いをひとつついた。
    「う、うん! まあ、彼女の言うとおり、話くらいは聞いてくれ。
     キミたちも『人のものをとったら泥棒』という言葉は知っているだろう?
     ところが、このシンオウ地方に人のポケモンを奪ったりする悪いやつらがいるらしい。
     そして、私は怪しいやつがいないか探していたのだよ!」
    お前が、と、パールが言い返そうとしたとき、それほど離れていない場所で一際大きな歓声があがった。
    プラチナが振り返り、目を輝かせる。 ポケモンを使ったストリートパフォーマンスだ。
    止める間もなく飛んでいってしまったプラチナを尻目に、ハンサムと名乗った男を睨みつけるとパールは、吐き捨てるような口調で男へと尋ねた。
    「本当は、ヒカリのことつけてたんだろ?」
    ふところに黒い手帳をしまいながら、ハンサムは腕を組んで自分を睨むパールを見つめ返した。
    「……そうだ。」
    眉を潜めたまま、パールは驚かなかった。



    「シャキーン!!
     ……ど、どうですか? はがねタイプ、とっても硬くて、冷たくて、鋭くて、かっこいいんですよ?」

    見上げるほど大きな鉄のヘビを、プラチナは首が痛くなるほどに見上げていた。
    イワークの進化形、ハガネール。 高さは確認されているポケモンの中でも最大級で、9.2メートルにもなる。
    そのてっぺんに、女の子が乗っていた。
    いや、高すぎて本当にそれが女の子なのかどうかも微妙なところだが、白いワンピースを着た人間が甲高い声をあげながらヨスガの商店街に買い物にきた人たちに声をかけているのだ。
    「みなさーん! 明日のお祭り、楽しみですね!
     あ、あの……お祭りでは、飛び入り参加OKのポケモンコンテストもやるんです。
     私も出ますから、ヨスガシティのみなさん、どうか見にきてくださーい!!」
    「ポケモンコンテスト……!」
    目をキラキラさせながらプラチナがハガネールの頭を見上げていると、不意に高いところにいる女の子と視線がぶつかった。
    疑問に思う間もなく、細い指がプラチナの方に向けられる。

    「……悪いことは、いけませーんっ!!」
    体の真横に鋭い岩が飛び出して、プラチナは悲鳴をあげる。
    慌てて飛び出したパールにしがみついていると、コンクリートにハガネールの頭が叩きつけられ、上から降りてきた女の人が眉を吊り上げてプラチナ……ではなく、その隣を指差す。
    「盗撮は、は、犯罪ですっ!」
    唖然としながら下を見ると、プラチナたちの足元には、元はカメラだったのであろう機械の破片が転がっていた。
    「なんか……改めて考えるとすげーな、ポケモンって……」
    「うん……」
    逃げ出した盗撮犯らしき男を、裏路地から飛び出したハンサムが追いかけていく。
    少女だとばかり思っていたハガネールのトレーナーは、プラチナより年上の妙齢の女性だった。
    背中を覆うくらい長い髪をなでつけ、ふんわりとしたスカートを翻してプラチナに微笑みかける。 可憐、という言葉がよく似合う人だった。
    「あ、あの、ごめんなさい……驚きましたよね。
     でも、でも、本当にポケモンコンテストは素敵で楽しいことなので、あなたもぜひ、遊びに来てくださいね!
     明日はあの伝説のコーディネーター、アヤコさんも来るんですよ!」
    「ママが?」
    「ママ?」
    目を丸くして、白いワンピースの女性はプラチナの言葉を繰り返しす。
    「アヤコさんの娘さん?」
    「うん、ポケモンコーディネーターのサトウアヤコでしょ?」
    「サトウ? え? あ、そっか……ご結婚されて、苗字が変わって……」
    少し戸惑っている女性をよそに、プラチナは振り返るとハガネールを見ていたパールの手を取った。
    「ジュンちゃん、コンテスト会場に行ってみよう!
     明日コンテストなら、もうママ、ヨスガに到着して会場の下見してるかも!」


    ハガネールを連れた女性に手を振ると、プラチナはパールの手を引いて弾けるように街の中へと飛び出した。
    ほぼ無計画と言っていい足取りだが、碁盤の目のようなヨスガの街では大きく迷うこともなく、角々に建てられた案内板を頼りにコンテスト会場……街の1番大きなホールへと辿り着く。
    次々と入っては出て行く銀色のトラックの間をすり抜けると、プラチナはロビーのガラス越しに建物の中を覗き込んだ。
    忙しく行き交う人の波を見ていると、隣でべっとりとガラスに指をつけていたパールが、奥の扉を指差す。
    「なあ……あれ、おばさんじゃね?」
    「あ、ホントだ! ママ!!」
    手を振ってもう1度呼びかけると、奥の扉にいた女性はプラチナたちに気付き手を振り替えした。
    もう止められることはなかろうと、プラチナは正面玄関を潜り、アヤコのもとへと向かう。
    大人たちの間を潜り抜けてきたプラチナを受け止めた母親は、出かける前と何ひとつ変わっていなかった。
    柔らかい胸に埋まってから、アヤコが話していた相手に向かって軽く会釈すると後から追いかけてきたパールが、自分たちの方に向かって軽く頭を下げる。
    「あら、ジュンちゃんも! 2人とも大きくなったのね、少し背も伸びたんじゃない?」
    「うん! ママ、あのね……!」
    「あ、ゴメンね、ヒカリ。
     ママ、お仕事の打ち合わせがあるから、少し待っててもらってもいいかな。
     夕方には終わるから。」
    「うん……」
    「あ、じゃあ、しばらく中を見学しててもいいっすか?
     ヒカリも明日のコンテスト出たいって言ってるし。 な?」
    アヤコが目配せすると、話し相手をしていた女性がうなずき、プラチナとパールにストラップのついたカード入れが渡された。
    2人分のそれを受け取ると、パールはアヤコたちから逃げるようにその場を後にする。

    やや強引に腕を引き、パールはプラチナを壁一面に鏡の張られた大きな部屋へと連れ込んだ。
    「しょーがねーだろ? おばさんだって、ヒカリが来るなんて思ってなかっただろーし。」
    「……わかってる。」
    「だったら、そのぶーたれた顔、なんとかしろよ。」
    小さくため息をついたパールが、自分のバッグから小銭入れを取り出しコインをカシャカシャ鳴らす。
    「ジュースおごってやるから、機嫌直せよな。 サイコソーダでいいよな?」
    「……ミックスオレ。」
    「てめっ……! 自分の金じゃねーと思って高いのを……!
     ま、いいか。 じゃ、買ってくるからここで待ってろよ。」
    鼻の頭にしわを寄せたパールが部屋から出ていくと、プラチナは背中を壁につけたまま座り込んだ。
    肩から落ちた長い髪を払うと、部屋の隅で動いたなにかに視線を上げる。
    部屋ふたつ分の空間の向こうで、長い髪をくしゃくしゃにした女の子がプラチナのことを見つめていた。
    「ぶーす。」
    黒い瞳で女の子を睨む。 黒い瞳で女の子が睨み返す。
    段々腹が立ってきてプラチナは立ち上がった。
    鏡に映った自分を睨んだまま、眉をひそめ、唇を固く結んで、ヒカリは鏡の中のヒカリを突き飛ばした。

    意味なんてなかった。
    ただ、うまくいかない何かに、自分にどうしようもなく腹が立っていただけで。
    だけどその瞬間、プラチナの世界は変わった。
    突き飛ばしたはずの手は透明な鏡をすり抜け、大きな力で引かれた体は床の上から離れた。
    天地は逆さまになり、自分とそれ以外の境界さえも曖昧。
    必死に目をつぶって自分を保とうとしたプラチナは、気が付くと冷たい床の上に投げ出されていた。
    そこは、先ほどまでプラチナがいたポケモンコンテストの控え室だった。
    だけど確かに、その瞬間プラチナの世界は変わっていた。





    ………………



    カラン、という金属の転がる音で少女はうっすらと目を開いた。
    傍らでは彼女がいつも連れているポッチャマが(プラチナいわく勝手に)ボールから飛び出して、体を揺さぶることもせず彼女の横顔を見つめている。
    こぼれ落ちたサイコソーダに靴の先を濡らされながら、パールはその少女の顔を見つめていた。
    小さくうめき声をあげながら、長い髪を揺らし、ゆっくりと彼女は起き上がる。
    目が合った。
    吸い込まれるような、深い漆黒の瞳。
    パールは唇を噛み、細く息を吸う。
    「……誰だ、おまえ?」
    プラチナには絶対かけない言葉をパールは少女に投げかける。
    少女はパールの顔をじっと見つめると、鏡を見、自分の身体を見下ろし、再びパールへと視線を向けた。
    「どこだ、ここは?」
    その声も、プラチナのものであってプラチナのものではなかった。
    声音こそ同じだが、その音程は1オクターブ近く低く、口調はパールが寒気を感じるほどに落ち着き払っている。

    違う、そう思った瞬間、パールは壁一面に取り付けられた大きな鏡に手のひらを叩きつけていた。
    「プラチナ! 返事しろ、おい、戻ってこい! ヒカリ!」
    「落ち着け、ジュン!」
    「離せよ!」
    「止めろ!」
    プラチナの姿をした誰かに手首をひねり上げられ、痛みとショックでパールは言葉を失う。
    プラチナのそれと同じ漆黒の瞳でパールの目をじっと見つめると、ダレカはつかんだ手に力を入れながら口を開く。
    「ヒカリの身体だ。」
    少し冷たい手のひらの感触にパールは震えていた唇を固く結び直した。
    パールの手首を離すと、プラチナの姿をしたダレカは部屋の中を見渡して、再びパールの方へと視線を向ける。
    「場所を変えよう。 ……人のいないところがいい。」



    案内してくれ、と、言われ、パールはプラチナの姿をしたダレカを街の北にあるふれあい広場へと導いた。
    普段にぎわっているであろう人とポケモンのための公園は、祭りの準備で浮足立った街の中心に人を吸い取られ、今は静まり返っている。
    全く人がいないわけではなかったが、ここなら立ち聞きされる心配は少ないし、子供2人が話していても不自然ではない。
    連れてきたハヤシガメのギョクをその場に座らせてピカチュウの形をしたトピアリーの脇に設置されたベンチに腰掛けると、パールはプラチナの姿をしたダレカに先ほどと同じ質問をぶつけた。
    「……おまえ、誰なんだ?」
    「俺は、ダイヤだ。」
    キングが、探るような視線をダイヤと名乗った人に向けた。
    同じ視線をパールからも感じ取ると、彼女は顔にかかる長い髪を後ろに流しながら言葉を続ける。
    「ああ。 ジュンが想像した通り、俺は、鏡の世界の住人だ。 本当の身体は別にある。
     恐らくヒカリの心は俺たちの世界にいるヒカリの身体に入っているはずだ。 そういう意味では安心していい。」
    「おまえの身体じゃなくて?」
    「向こうの世界で、俺たちはもともと入れ替わっていたんだ。」
    そこまで言って、ダイヤは難しそうに眉を潜めた。

    「実のところ、俺自身も詳しいことは解っていないんだ。
     半年ほど前に突然ヒカリの姿で目覚めて、直後にナナカマド博士からヒカリにポケモン図鑑完成の依頼が来た。
     これは感覚的なものなのだが、ヒカリが、俺に助けを求めているのだろうと、そう考え今日まで行動してきたのだが……まさかこんなことになるなんて、俺にもわからないことだらけだ。」
    「その、鏡の世界っていうのは?」
    「パラレルワールドのようなものだと思ってくれ。 今、ここで説明するには時間が足りなすぎる。」
    やけにおとなしいキングを見下ろしながら、パールは拳を握りしめた。
    到底理解できないし、受け入れがたい話だが、目の前にプラチナの姿をしたダイヤがいる以上、否定することが出来ない。
    いっそ夢であってくれ、と、握りしめた拳で眉間を叩くと、細い指の隙間からこちらをうかがうダイヤの姿が見える。


    「2、3、質問があるのだが。」
    「……なんだよ。」
    不機嫌そうに返したパールにダイヤはアゴを引いた。
    「なぜ、俺がヒカリでないとわかった?
     ヒカリを探すとき、真っ先に鏡を叩いたのはなぜだ?」
    パールの顔は強張っていた。 その表情はイタズラが見つかったときのそれに似ている。
    じっと見つめてくるダイヤを居心地悪そうにチラチラと見ると、パールは笑みにもなっていない表情を浮かべ、彼らしからぬぼそぼそとした声で言葉を出した。
    「……夢で見たんだよ。」
    「どんな?」
    「鏡の中に閉じ込められたあいつが、必死になって助けを求める夢。 それに……不吉な、未来。」
    絞り出すように言葉を紡ぐと、パールはぶるりと震えた。
    他人事のように眠りかけていたギョクが、立ち上がって額をパールにすりつけた。
    夢は夢だと思いつつも、パールなりにやれることはやってきたつもりだ。 それでもし足りなかったというのなら……いっそ時を戻して、全てをやり直してしまいたい。
    うつむいて拳を握りしめているパールをじっと見つめると、ダイヤはおもむろに彼の腕を引き、ベンチから立たせた。
    「よし、それじゃあジュン。 付き合え。」
    「はあ?」
    命令形。 どこに、と聞こうとしたのを遮って、ダイヤはパールにプラチナと同じ笑みを向ける。
    「デートだ。」



    「わあ! お客様すっごくお似合いですよ! これなら彼女さんも惚れ直しちゃいますね!」
    店員のお世辞ににっこりとほほ笑んでダイヤはパールに着せた青いコートをレジへと持っていく。
    引きずられるように街へと連れてこられたパールは、いまだ状況を把握しきれなかった。 一緒についてきたギョクもしかり、キングもしかり、だ。
    「今日はおふたりの記念日かなにか?」
    「実は誕生日なんですよー。」
    ダイヤは照れ笑いしながら大嘘をつく。
    決して安くはない金額を現金で支払うと、ダイヤは大きな紙袋を抱えたままパールのところへと戻ってきた。
    「……なあ、どういうこと?」
    「身体が女の子とはいえ、肩や足を出して歩くのは恥ずかしくてな。 かといって、若い女の子が1人で男物の服を買うのは不自然だろう?」
    「ってことは、ダイヤは元々男なんだな。」
    「あぁ。」
    「……って、ちょっと待……!?」
    混乱するパールをよそに、ダイヤはさっさと多目的トイレへと入ってしまう。 数分もせずに服を着替え、もんもんとするパールの前に現れたダイヤにパールは息を呑んだ。
    青いコートに赤いマフラー。 そこにいるのは、まぎれもない男の子。
    つややかだった長い髪はひとつに束ねられ、赤いハンチングの下へとしまわれていた。
    「どうした、惚れ直したか?」
    口をパクパクさせるパールに、ダイヤは皮肉めいた笑みを向ける。
    「ちがっ……! だって、おまえ、プラチナのはっ、はだっ……ハダッ……!!」
    「なんだ、そんなことか。 そんなこと言ったって、こっちは半年以上、この姿で過ごしてるんだぞ。
     大体、こんな子供の身体に興奮するか。 俺はロリコンじゃない。」
    「な……なんだってんだよー!?」
    「いいから次行くぞ、食べなきゃ頭も回らない。」


    そう言われ、引きずられるようにしてパールはラーメン屋に連れて行かれる。
    選択肢もなくトッピングが山盛りの味噌ラーメンを頼まれ、すぐ隣の席でずるずると麺をすする音をたてられる。
    呆然と隣の席で箸を動かすダイヤを見ていると、ダイヤは気がついたようにレンゲから口を離し、白く濁った湯気に息を吹きかけながら話しかけた。
    「どうした、食べないのか? ラーメン好きだろう。」
    「そうだけど……」
    旅の間ずっと散々プラチナに付き合ってイタリアン三昧だった今のパールに言われても。
    しかも、誘ったのが当のプラチナ(の顔をした別人)とあっては、違和感がありすぎてまるで落ち着けない。
    仕方なしにラーメンを口の中へと運ぶと、刺すような塩味が口の中に広がった。
    なんだか味気ない。 物足りないのではなく、濃すぎる。
    ため息が混じったような味のラーメンをパールがずるずるとすすっていると、ダイヤはレンゲの上で味玉を割りながら世間話のようにパールに尋ねてきた。
    「ジュンは、ジムバッジを集めているのか?」
    「……一応な。 プラチナを守るために強くならなきゃいけねーし。」
    「ポケモンリーグは?」
    「出れるなら出たいけど…… 悪夢のこともあるし、あんま、そんな気分じゃねーや。
     今、いい噂聞かねーしな、ポケモンリーグ。」
    「噂?」
    汁だけになったどんぶりにレンゲをひたすと、ダイヤは食い入るような視線をパールへと向ける。
    「初代チャンピオンのレッドが失踪した事件の陰にポケモンリーグ上層部の陰謀がうごめいてるって、ウソだか本当だかわかんねー都市伝説のたぐいだよ。
     真に受けてるわけじゃねーけどさ、悪夢が続いたり、変なやつらに追っかけられたりしてるときにお祭り騒ぎに参加できるほど、気楽な気分じゃねーっていうか……」
    パールは机に置かれたレモン水で口をゆすいだ。
    ダイヤは食べ終わったどんぶりをカウンターの上に持ち上げた。
    その様子にパールはムッとする。 いつもプラチナは、パールがせかしてもせかしてもゆっくりペースでなかなか食べ終わらなかったというのに。


    「これから、どうしたい?」
    そう、ダイヤが切り出すと、パールは残ったどんぶりの中身を無理矢理胃の中に流し込んだ。
    むせかえりながらもレモン水で口の中をリセットすると、パールはダイヤを睨み、ケンカの始まりそうな物言いで返事を返す。
    「プラチナを取り返す。」
    「ほう。」
    パールは相手を射抜くつもりで睨みつけたのに、反対にじっと見つめ返され動きを止める。
    咎めるような目つきでパールを見つめていたダイヤは、不意にふっと笑うと、小さな唇をゆるませた。
    「俺も、同じ意見だ。」
    その表情は、男のようでもあり、女のようでもあった。
    2人分の代金を置くとダイヤは細い首にマフラーを巻き直し、自分のバッグを手に取った。
    慌てて追いかけるパールはその横顔を見て唾を飲み込む。 見覚えがあったそれは、男の覚悟した表情だ。

    「なあ、ダイヤはどこまで知ってんだ?」
    先を行く彼の後を追いかけながらパールが尋ねると、ダイヤは視線だけパールの方に向けてほんの少し黙り込んだ。
    「……どの程度話すべきか、それを判断するにはジュンがどの程度、話に関わっているのか確かめる必要があるからな。
     すぐには話せない。 今言えるのはその程度だと考えておいてくれ。」
    「じゃあ、1個だけ聞かせろよ! ダイヤはさ……『誰』なんだ?」
    半ば怒鳴るような口調でパールが尋ねると、ダイヤの足が止まった。
    街の中心から離れ、人影もまばらな通りを背にダイヤが振り返ると、息を切らしたパールとあくまでも静かなダイヤの視線が交差する。
    「俺は……お前の親友だ。」
    「未来の?」
    「どうだかな。」
    そう言ってダイヤはポケモン図鑑を取り出した。
    次々と切り替わる画面を横目で追うと、ダイヤはプラチナの荷物の中からモンスターボールを取り出し、コンクリートの上へと放り投げる。



    「まずは内陸にあるズイタウンへと向かう。
     だが、その前に腕を知っておきたい。
     ジュン。 手持ちの全てを使って構わない。 俺とバトルしろ。」
    その言葉を聞いた瞬間、パールの背筋に冷たいものが走った。
    テレビコトブキの前でプラチナとバトルをしてから数か月、パールはポケモンたちと修行を繰り返しそれなりに実績だって積んできた。
    かたやプラチナのポケモンは、数こそ多いがみんなコンテスト用に調整したポケモンであり、ポケモンバトルにはあまり向いていないはずだ。
    なのに、なぜだろう。
    目の前にいるトレーナーに、全く勝てる気がしないのは。
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