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    11話「オタマロさん登場!」


    空もすっかり晴れ上がり、強い日差しがゾロアの黒い毛並みをチリチリと焼いていた。
    歩くたびに、足の裏が焼かれるようだ。
    階段の影に逃げ込むと、頭の上を人間が、スニーカーの音を鳴らして通り過ぎる。
    銀色の階段を降りて2つ足を進めると、人間はゾロアに目を向け、笑ったような顔で話し掛けてきた。
    「…なぜ、ついてくるの?」
    ゾロアは鳴き声をあげず、イシシッ、と小さく笑ってみせる。
    肩をすくめると、人間は自分の腕に手をあて、そこから動かないまま口だけを動かした。
    「ボクはN。
     キミはキミのトレーナーから逃げ出してきたのかい? カラクサでボクの帽子をとったのも、確かキミだったね。」
    耳だけを動かし、ゾロアはNに冷めた視線を送る。
    ふと顔を上げ、ゾロアは建物の屋根に駆け上がる。
    追いかけようかとNが足を踏み出した瞬間、角を飛び出してきたミネズミが足にぶつかりそうになり、思わずNは拾いあげた。

    手の中でバタバタと暴れながらチィチィ鳴き声をあげるミネズミをじっと見つめると、息を切らし追いかけてきたトウヤの方へと、暗く沈んだ色をした瞳を向けた。
    探していたミネズミがNの手の中にいることに気付くと、トウヤはぜえぜえと息を荒げてその場で自分のひざに手を突く。
    「ごめん……ちょ……ちょっと持ってて……」
    ぽかんとしたNの前でトウヤはぐるぐると巻かれた頭の包帯を取ると、自分の手に巻きつけてからにへっと変な笑顔を作って見せる。
    「ほらミネズミ、もう怖くないよ。
     知らない街なんだから、あんまり遠くに行くと見つからなくなっちゃうよ。」
    ありがと、と軽く礼を言ってトウヤはNからミネズミを受け取った。
    ミネズミはキュウキュウ甲高い声をあげながら、トウヤの胸に顔をこすりつけ、服にしがみつく。
    ひとしきり頭や背中をなでてから「あ」と小さな声と一緒にトウヤは顔をあげた。
    「N!」
    今さら気がついたらしい。 腕に抱かれたミネズミの鳴き声が「ぎゅう」といつもの低さに戻る。
    「Nもシッポウシティに来てたんだ、気付いてたんなら一声かけてくれればよかったのに。」
    「……キミのその傷が、キミのミネズミを苦しめてたというのか。」
    「えっと、あぁ……これ?」
    トウヤは後頭部に張られたガーゼを指差すと、頼りなく笑う。
    「昨日ちょっと転んじゃってさぁ、たいしたことないのに包帯ぐるぐる巻きにされちゃったんだ。
     そしたらミネズミがビックリして逃げだしちゃって……」
    「嘘をつくなッ!!」
    突然声を荒げたNに、街中が5秒の間、静まりかえった。
    「キミのミネズミは深く傷ついている。 自分が悪いと言っているが、キミが何かしたんじゃないのか?
     見損なったよトウヤ! カラクサタウンでバトルしたときのキミとミジュマルの信頼関係はやはりトレーナーの自分勝手な思い込みだったと」


    「ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅきゅぎゅーッ!!!」
    「みーじゅみじゅみじゅみじゅみじゅまーっ!!!」

    トウヤの服にしがみついたミネズミ、ついでに帽子を抱えたままやっとこ追いついたミジュマルががなりたて、トウヤは腰を抜かしそうになる。
    「ど、どうしたんだよ、おまえたち!?」
    人に吠えるな、街中だから、と、トウヤはNに向かってキィキィ鳴き声をあげるミジュマルたちを必死でなだめる。
    ぜぇぜぇ息を切らすミジュマルの目に、涙がたまっているように見えた。
    背中をなで、ようやく静かになったポケモンたちにトウヤがホッと一息つくと、Nが自分の帽子を脱ぎ胸の前に当てる。
    「……すまないトウヤ、誤解だったようだ。 先ほどの発言は全て撤回しよう。
     キミのポケモンたちはキミにとても懐いているようだ。 こんなに心のこもった声を聞いたのはボクも初めてだよ。」
    「あー……あのさ、N……」
    「なんだい?」
    ミジュマルの背中に手を当てたまま、トウヤはモゴモゴと少し言いづらそうに言葉を続ける。
    「……ゴメン。 キミの言葉、早口すぎて何言ってるのか全然わかんない……」



    再び、静寂。
    驚いたような目を瞬かせると、Nは絆創膏の近いトウヤの口を見つめながら口を開く。
    「わからない? カラクサで『何を言いたいのか分からない』と言ったのも……?」
    「あ、そのくらいでギリギリ。」
    少しホッとしたような顔をしてトウヤはNに指を向けた。
    ずり落ちてきたミネズミを抱えなおすと、トウヤはニコリと笑顔を向けてNに言葉を続ける。
    「だから、さっき怒鳴ったのも、その後なんか謝ってるっぽかったのも全然わかんなかったから、気にしなくてもいいよ。
     ……あー、カラクサで何か一生懸命喋ってたの聞き取れなかったのは、ほんとゴメンだけど……」
    考え込むようにトウヤが前髪に触れると、ミネズミがまた、ずり落ちた。
    少し視線を下にずらし、ミネズミを抱える腕が震えていることに気付く。 もう握力がないのだと。
    Nは被っている帽子を少し目深にすると、早口で、しかしトウヤに聞こえるよう切り出した。
    「……ボクは、誰にもみえないものがみたいんだ。
     ボールの中のポケモンたちの理想、トレーナーという在り方の真実。
     そしてポケモンが完全となった未来……
     ……キミも、みたいだろう?」
    「?????」
    トウヤの顔からは「ゴメン、何言ってんだかさっぱり解らない」という言葉があふれ出していた。
    呆れたように肩をすくめ、首を横に振ってみせるとNはモンスターボールを取り出し、トウヤに向けて構える。
    「理解できない、か。 いいよ、それよりボクとボクのトモダチで未来をみることができるか、キミで確かめさせてもらうよ。」
    「あ、ちょっ……!」
    「おおっと!」
    まだミジュマルの回復が……と言おうとした時、上空から何か黒くて大きなものが降ってきてトウヤとNの間に立ちふさがった。
    長いポニーテールを揺らし、トウコは立ち上がる。 一体どこに隠れていたんだと、トウヤは妙に澄んだ空に視線をさ迷わせた。


    「トウヤと……あとMだっけ?」
    「Nだよ、トウコちゃん……」
    「面白そうな話、してんじゃん。」
    名前の間違いを全く気にする様子もなく、トウコは唇に舌を這わせ、トウヤを背にNに向き合った。
    彼女の足元にいるゾロアとオロオロしているトウヤを見比べ、Nは1度出しかけたモンスターボールを引っ込める。
    「トウコチャン……? そのゾロアもキミのポケモンだったのかい?」
    「ゾロアはね! トウコちゃんの1番の大親友……」
    「トウヤ、黙ってな。」
    ぴしゃりと言われ、トウヤは自分の唇を噛んだ。
    手の上でボールをコロコロと転がしながら、トウコは青みがかった澄んだ目でNを見据え、彼の手にあるモンスターボールへと視線を向ける。
    「ちょっとそこのイケメンさんよ。 何を焦ってるのか知らないが、そこにいるトウヤの怪我が見えないわけじゃないだろう?
     丁度退屈してたとこだし、頼りない弟に代わってアタシが相手してやるよ。 文句ないだろう?」
    「……キミが?」
    「アタシはトウヤと違って、バトルは大好物さ。」
    ゾロアが足を踏みしめると、黒い風のようなものが吹き渡った。
    驚いてジタバタするミネズミを強く抱きしめると、トウヤはトウコとNの顔を見比べる。
    「成る程そうか……ならば、キミたちとのバトルで未来をみせてもらおう!」

    小さくうなずいて、Nはモンスターボールから灰色の小鳥のようなポケモンを呼び出す。
    パサパサと大きな音を立てて羽ばたくトウヤがポケモンに図鑑を向けると、画面には『マメパト』と表示された。
    ニッと笑い、トウコはパチンと指を鳴らす。
    「シママ!」
    地面を蹴るゾロアの足が伸び、小さなひづめがアスファルトに音を鳴らす。
    「……ゾロアのイリュージョンだ!」
    トウヤはミネズミを握り締めて叫んだ。
    縞模様の体毛がバチバチとスパークする音を鳴らすと、マメパトは「くぅ!」と鳴いて仔馬のようなポケモンに背中を向けた。
    「マメパト、恐れることはない。 ただの幻影だ!」
    「どうかな?」
    クルルルル、と、鳴き声をあげて戻ってきたマメパトに、トウコは人差し指を向ける。
    「シママ、『ニトロチャージ』!!」
    豆鉄砲食った顔をしたマメパトに向かい、トウコは素晴らしくよく響く声を張り上げた。
    高いイナナキをあげ仔馬のようなポケモンは足元から炎を噴き出し飛び上がる。
    そのまま、炎を纏った足でマメパトを蹴落とす。 訳もわからないまま焦がされ地面をスライディングするマメパトを見て、トウヤは「おぉ」と声をあげる。
    「トモダチなのに、おいしそう……」
    「ヤメテ!!」
    こんがりと肉の焼ける匂いに、トウヤ一行は地面の上にヨダレをたらす。
    ケラケラと笑ってトウコはゾロアを元の姿に戻す。 ヤキトリをモンスターボールへと戻してから、Nは反対の手で風を切った。


    「トモダチが傷つくことの何が楽しい!?」
    「本気でやらないバトルこそ、何が楽しいってんだよ?」
    長い髪に触れ、トウコは次のポケモンを促す。
    帽子に隠れた眉をピクリと動かすと、Nは次のポケモンに触れ、トウヤを睨んでモンスターボールを構えた。
    「いいとも。 ここでキミたちに勝てる力もなければ、世界を変えるための数式は解けない。
     ……ボクはすべてのポケモンを救いださなければならない。 そのためにまず、このバトルに勝ち、キミたちを納得させる!
     さて、交代だ! ドッコラー……」
    「まーろまろまろまろまろ!」
    「え」と、トウヤとトウコとNが理解不能の声をあげる。
    Nが呼び出したドッコラーの頭に、どう見ても生活圏は水辺なオタマジャクシのポケモン。
    どうもNのモンスターボールから出てきたようだったが、出したはずのNすら混乱しているようで、ちょっと疲れてきたトウヤたちは建物の影に座って観察する。
    「マロマロマロマロマロマロマーロマロマロ!」
    「オタマロ、キミの出番はもう少し後だと……ゾロアは『あく』タイプなんだから、今は『かくとう』タイプのドッコラーに任せた方が……」
    「……悪の弱点は、格闘タイプ……と。」
    どうやら、あのオタマジャクシはオタマロというらしい。 聞きながらトウヤはポケモンレポートにメモを取る。
    やっていること自体はすごそうだが、あまりにマイペースなバトルに緊張の糸も切れてしまった。
    謎の言語で話すNをあくびしながら見つめていると、腕組みしたトウコが鼻息も荒めにNへと向かって切り出した。

    「で、どっちが戦うの?」
    「ドッコラーで!」
    「マロマロマロ!」
    ダメだこりゃ、と、トウヤはため息をつく。
    なんだかよくわからないが言い争ってるような様子のNのもとから、マロマロ鳴くポケモンが(恐らく)勝手に飛び出し、ぼいんぼいんと跳ねてゾロアへと近づいていく。
    はぁと息を吐くと、トウコはパチンと指を鳴らした。
    ゾロアの手に握られるフライパン。 「せーの」と息を合わせてオタマロに照準を合わせ、トウコとゾロアの腕が豪快に空を切る。
    「飛んでけーッ!!!」
    「オタマローオォッ!!?」
    スコアは華麗にホームランだ。 マロマロいいながら空に流れていったオタマロを、トウヤは半開きの口で見送る。
    指の肘で自分の肩をトントンと叩き、トウコはNに視線を向ける。
    く、と小さなうめき声をあげると、Nはゾロアを睨みドッコラーに向けて指示を出した。
    「ドッコラー『けたぐり』!!」
    持っている角材を振り回し、ドッコラーと呼ばれた茶色いポケモンは音を立てて強く地面を蹴る。
    全体重をかけ足元を狙った蹴りは、ゾロアをすり抜けて局所的な風を作る。

    「『かげぶんしん』。」

    力の行き所を失い地面に転げたドッコラーに、黒い小さな影が落ちた。
    見上げるドッコラーの黒い瞳に、小さな牙から炎を漏らす、黒い狐の姿が映る。
    「ゾロア、『かえんほうしゃ』!!」
    吹き降ろす赤い炎を食らい、ドッコラーは小さなモンスターボールへとその姿を変える。
    イシシシシッ、と、ゾロアは笑い声をあげた。
    信じられないとでも言いたげなNに青い眼を向けると、ふさふさの尻尾を揺らしてしなやかに身構える。


    「未来が……見えない……」
    「あ?」
    ガラ悪く聞き返すトウコに、Nは聞いているのかわからない早調子で言葉を続ける。
    「バトルは終わりだ。 今のボクとボクのトモダチではすべてのポケモンを救い出せない……世界を変えることは出来ないということがわかった。
     ボクには力が必要だ。 誰もが納得する力……」
    やはりトウヤには、言っていることの半分も聞き取ることは出来なかった。
    トウコも意味をわかりかね、その場で首をかしげる。 トウコの方へ視線を向けると、Nはいつになく強い目をして、胸の前で拳を握った。
    「必要な力はわかっている。
     ……英雄とともに、このイッシュ地方を建国した伝説のポケモン、ゼクロム!
     ボクは英雄になり……キミとトモダチになる!」
    言うだけ言って、Nはトウヤたちに背を向ける。
    早足で去っていく彼の背中を、トウヤもトウコもただ見守ることしか出来なかった。

    何言ってんだ、アイツ、と首をかしげるトウコを横目に、トウヤはミネズミを置いて立ち上がった後、トウコに向けて唇を動かした。
    「友達いないのかな、あいつ?」
    そういう問題でもない気がしたが、トウコはそれを口にすることは止めておいた。
    久々のバトルで動かした体を、強い日差しにあて解きほぐす。
    「ま、そういうことにしといたらいいんじゃね?」
    うん、と、トウヤは小さくうなずいた。
    走り回っていたゾロアが黒い毛並みをブルブルと揺さぶる。
    黒い身体に、初夏の日差しは少々強すぎる。
    涼を求めポケモンセンターに向かう1人と1匹を見送って、トウヤはずっとしまっていた上着のファスナーを、少しだけ開いた。
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